会話だけで文をつなげるということ

新年らしいですね。
まあボクは年末年始に限らず「~だから」と言って行動するのが嫌いという天邪鬼タイプなので特に挨拶をするつもりはありませぬ。
ついったではするかもしんないけど(笑
というか年末年始は物価が高いのでさっさと平常運転に戻って欲しいというのが本音。
海老の天ぷら一つに数百円とかほんと馬鹿げてると思う。

まあそれはともかく。
ここ数日の間どうも執筆欲というのがなくて、模写はしつつも小説は放置気味。
このまんまだと姫初めやべーんだけど!? とか思いつつどうも筆が乗らないという。
で、年末何してたかっていうと主にFGOやっとりました。二部も始まるし1.5部終わらせとこっかなぁ……的な。
まあ英霊剣豪終盤で年をまたいで回線混んじゃってログインからはじき出され、ついさっき「もういいだろ」と思って行ったら緊急メンテとかいう二重苦。
いや、ほんともう黒幕倒しての超終盤でこのままクリアしちゃいたいんだが。とはいえメンテが終わるはずもなく、しゃあないのでやけ酒を飲んで今に至りまする。
泥酔しきる前に書き上げて寝ちゃいたいね。
というか福袋すら回せてないっていう体たらくだからね。世の中まさかの葛飾北斎女体化で騒いでんのに、こちとらログインすらできんっていう。
まあいいや。

(以下ごく僅かにFGOのネタバレ含みます)

閑話休題。
本題なんだけど、FGOやってて今更気づいたのは、そのストーリーがほぼ全て会話文だけで成立しているという事。
特に一部の間は比較的それは徹底されてて、たまに地の文なんかが入ってくることはあるんだけどそれは物語の冒頭とかそういう特殊な時、要は伏線バラマキのためだったりする。
まあ1.5部だと比較的地の文が多いんだけど、それでも一つ明らかに守られている所があって。

それは、主人公がいる時には全て会話で回されているっていう事。

まあたまに例外があって、主人公一人の時に〝どうしてもしようがないから〟という製作者側の悲鳴が聞こえてくるような場面で地の文が入っているけど、〝主人公ともう一人〟というシチュエーションでは相当厳密にこれは守られている。

ただこれ、物書いたことある人間にとっては超しんどいっていうのは簡単に予想ができて。
だからこそ全ての物語でナビゲーターとなる人物が必要で、そういう意味で主人公が行く先々で協力者たるサーヴァントと出会うというのは物語構成上必然的に要求されていたというか、一部では特にマシュが必ず側にいるっていうのはそういうシナリオライターとしての視点から見ても必須の要素であったんだろうなぁ、ということが垣間見えている感じ。

実際、亜種特異点の3、つまりは武蔵のエピソードなんて最たるもので、ほんの数行で武蔵と出会うもんね。
あれ、物語的にはもう少し引っ張ることだってできるはずなんだよ。
下総に着いて彷徨って、怪異に襲われていつも通り英霊召喚しようとしたらできなくて、やべー! ってなって武蔵登場、とかでもいいわけ。
でも実際にはすぐに、ほんとびっくりするくらいすぐに武蔵と合流している。
それを神だか仏だか日頃の行いの良さだかでごまかしちゃってるけど、ストーリーテラーとしてはそういう要求もあったんだろうなぁ、なんてね。

で、よくよく考えてみるとそれなりにストーリーがあるソシャゲって、必ず案内役がいるんよ。グラブルにしろチェンクロにしろ。
ボクは今までそれは単にいわゆるお約束の「おねー(にー)さんすげー力持ってるね! もしかしたら伝説の○○かもっ!」みたいなテンプレを再現するためだと思ってたんだけど、ひょっとしたら〝会話で物語を進める〟っていう要求に答えるために導き出された回答なのかもしれない。

ソシャゲっていうのはエロゲ、ないしはADVと呼ばれるジャンル以上に絵や背景による情報に依存していて、なおかつそれらと決定的に違うのが「スキマ時間にプレイしてもらう」という前提。
つまりは文字で延々と情景描写をするというのは嫌われるっていう背景がある(んだと思う)。
エロゲやADVですら昨今は声優さんの演技に任せている部分があって地の文はむしろ特徴を無くして事実だけを述べる事を求められているくらいなんだから、ソシャゲの制約っていうのは相当に厳しいってのは簡単に想像できる。
多分だけど、地の文をゼロにするっていうのはその要求から来ていて、だからソシャゲっていうのはびっくりするくらいキャラクターが説明セリフを話す。
意識して見てみると、有名所だと地の文を探す方が困難だと思う。よしんばあったとしても数行くらいじゃなかろうか。

このひたすらの説明ゼリフ、少なくとも小説だとご法度とされていることだけど、不思議とソシャゲでは特に気にならない。
これは多分極力まで情報量を削ぎ落としていて(FGOだと描写されるのは二行だけ。それも適当に区切ってるので、実際には一行二十字ちょっとくらい)、しかも状況説明だけ(情景描写は必要最低限)っていう縛りが効いているからなんだろう。
プレイヤーはそこで、絵と、背景と、そして何よりキャラクターの性格とその動揺具合からなんとなく情景をイメージする。
そしてその〝なんとなく想像できるイメージ〟以上の情報は決して出さない。
ややこしい状況やら設定やらは語っても、情景や心情に関してはほとんど踏み込まない。心情に踏み込むとしたら特定のキャラにおいて必要最低限(少なくともFGOは)。

そしてこういったあたりが、いわばソシャゲのセンテンスというかエッセンスとして確固たる地位を築いている。
少し前にライトノベルというかWeb小説の描写云々の話がついったで出てたけど、それは昨今の一般人にとってよく触れているのは小説ではなくソシャゲだからっていうのも一つの要因なんだろう。
なにせそこではセリフ主体、むしろセリフだけで話を進めるという技法が確立されている。
Web小説の文体ってのは小説というよりむしろADVの流れを汲んでいると言われることもあるし、その辺も会話主体の物語構築が馴染みやすい背景なんだろうね。

ただ、ただね。
こういった〝会話だけで進める〟というエッセンスはあくまでソシャゲでの要求、もう少し広げてもADVの要求にすぎないんだよ。
やっぱりボクは、古い人間、ないしは老害という自覚はあるけれど、〝物書き〟である以上心情・情景描写に力を入れるべきであるとは思う。
〝ADV〟ではなく〝小説〟という媒体、つまり究極的には文字だけで表現する界隈にいるならばそこに妥協してはいけないと思う。
そして〝文字だけ〟っていうのは一番受け手に〝想像力〟っていう力を要求する分、うまくハマれば絵やアニメーションなんて比較にならないぐらいのリアリティをもって事象を、物語を、世界を――著者の想いを伝えることができるんだって信じてる。

いずれにせよ、会話文主体の文というというのは〝文章以外〟の力があること前提で、むしろ〝ソシャゲ〟として最大限のパフォーマンスをするために必要な文の形態が〝会話文主体〟であったということなんだと思っている。
その答えというのは当然尊重されるべきで、例えばRPGでどれか一個、ストーリーや音楽、UIやグラフィックだけが特化していても意味が無いのと同じで、〝ソシャゲという媒体の魅力をを最大化するために生まれた文〟というのが極端に会話だけに偏重した文なんだろう。
同様に〝Web小説という媒体の魅力をを最大化するために生まれた文〟というのもあるはずで、これがいわゆる事実だけを述べて話だけを進めるっていうやつなんだろうね。
というかぶっちゃけその根っこにはADVの流れもそうだけど、横書きっていう部分も非常に大きなウェイトを占めてるんだけど。まあそれはいいや。

で、ならば〝エロに特化した〟ないしは〝女の子のエロさを最大限に表現する〟ためにある〝文体〟というのもあるはずで、それを探そうっていうのが今後のボクの指針なのかもしれない。
……って、これ〝空の道〟を探し続けた武蔵みたいなもんだな(汗
まあ何にせよ、ボクの原動力はあくまで「自分にとって最高のエロを追求する」ということなので。
そのための最適解っていうのを頑張って模索していきたい所だね。

(あ、この文、酔ってるから後で推敲しまする……。正直世界が歪んでて推敲とかいう頭使う作業なんぞできぬ……)

推敲しました。まあ推敲っていうか、意味が通ってなかった部分を直しただけだけど。

というか思ったより文が酷くなかった割に変な酔い方して、多分古い日本酒(二年前に製造されて普通に部屋に置かれてたやつ)だったからけったいな悪酔いしたんだと思うんだけど、新年早々トイレとお友達になるとは思わんかった( ´△`)
しかも普通悪酔いなら頭痛くなるとかあるはずなのにね。ひたすら寒くて気持ち悪かったからね。どっちかって言うと食中毒なんじゃねえかって感じの症状だったね。昼過ぎまで動けんかったし。
アルコール量としてもそんな大量に飲んでたわけでもないし、ほんと酷い目にあった……。

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えろんのかんづめ

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