昨日……というか日付的には一昨日になるんだろうけど、念願の邪ンヌをゲットして一日かけてどうにかLv100まで持ってったんだけど、その反動として頭が完全に創作型(インプット&アウトプット)から消費型になってしまって何もやる気にならんという。
しかも全くインプットすらしてなかったというのがミソ。
完全に頭なんて働かせないまま、昔見て面白かった実況動画を再生しつつひたすら種火とかイベントマップを周回し続けるっていう。
久しぶりにこんな無茶苦茶な時間の使い方をしたというか、全く生産的ではない時間だった。
今これを書いてるのも、なんでもいいから出力してアウトプット脳に戻さんと、みたいな感じ。
まあそれはともかく、久しぶりにそんなことをやった結果分かったというか体感として理解したっていう部分もあって。
それが何かというと、この記事のタイトルでもある「消費するというのは楽なんだ」ということ。
というのもね、創作活動なんてしてるとすっげー疲れるんよ。
これボクだけなのかもしれないけど、特に小説書くのってすっげー疲れる。
ボク自身初心者のぺーぺーだからかもしれないけど、絵はまだマシ。
最初のラフ描くのにはすっごく苦労する、というか小説書くのと同じくらい頭を使うんだけど、その後は小説書く時ほど頭を使わないというか、上手いこと緩急がついて脳が休まってる感がある。常にフルスロットルではないというかなんというか。
だけど小説書いてる間はもうずっと頭がフル回転してる感じ。休まる時がない。
で、だからだと思うんだけど、同じ一時間でも〝何かを創る〟一時間と〝ただ消費する〟一時間は全く重みが違うんだなぁ、と。
そんなもん当たり前やんけって言われたらそれはそうなんだけど、こんなけ違うんだっていうのは分からなかった。
つか正直な話、年だからだと思ってた。
昔はあれだけ集中できたけど今はできなくなってしまったのは〝年を取った〟からなんだと。
けど昨日いわゆる脳死プレイでひたすらやり続けて分かったのは、別に今でもそういうプレイをしようと思えばできるし、実際さして疲れないんだということ。
いや、本当の所は逆かもしれない。疲れないからずっとやり続けられるのかもしれん。
いずれにせよアウトプットでもインプット(血肉にするためにモノを見る)でもなく、ただの消費者としてコンテンツを扱うとこんなにも疲れないモノだったんだなぁ、という。
だからまあ、創作に関わっている以上疲れるもんなんだな、という感覚は自分の中で持っていていいんだと思う。
ただネットの記事を読むだけ、お風呂入るだけ、ご飯食べるだけ、のんびりぼーっとするだけ、ついったみるだけ、……etc.でびっくりするくらい時間が過ぎるのは当然のことであって、元々しんどい事をしようとしているっていうのを頭の片隅に置いておくっていうのは悪くない。
そうである自分を恥じるというより、そうであるからこそ注意するというか、そんな中でも取り組んでいる自分えらい! と開き直るというか。
大体そもそも、もしもそれに全く苦痛というか大変さを感じないのなら、ボクは創作を趣味ではなく仕事にしてただろうしね。
仕事にしようなんて欠片も思わなかった時点でそれはボクにとってそれなりに大変なことであって、だからやったら疲れるのは当たり前。疲れるんだから相応の集中力を要するし、そういう意味で向き合うのにエネルギーがいるのも当たり前。
っていうかそりゃ多少は年の影響もあるだろうけど、そもそも「一時間実況動画見てゲラゲラ笑う」のと、「一時間必死に頭を働かせてキーボードを叩く」のじゃ疲れ方が違うのは考えるまでもなく当然の帰結やわな。
冷静に考えたら〝アウトプット〟ないしは〝インプット〟という観点で見た時、小学生の時ですらボクはそんな集中してたことなんて無いしね。
受験勉強ですら一教科一時間程度がせいぜいで、ローテーションを組んで適当に教科を回してた気がする。というか回してた。
ともかくは小説書いてたりして集中力が続かないというか、妙に疲れるのは年を取ったからではなく、単に消費じゃなくて創作をしてるんだから当たり前、という結論でひとまずはいいんじゃなかろうか。
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