エロは性癖で殴れるからいいよ、っていうのはマジモンの甘言だよって話

数日前、鬼滅コラでエロ絵描きになれ、とか、エロ書きになれ、とかの勧誘画像が出回ってた。
で、その勧誘理由は大体「エロは性癖で殴れるぞ」というもの。

まあ、これ自体はボクも真だと思うし、ちょっと前まではボクもそう主張してきた事でもある。
ただ最近は、この言葉は非常に危ないというか、事実は事実だけど、その先を考えておかないと火傷するタイプの考え方――つまりはまんま〝甘言〟だなという感触がある。

というのも、性癖で殴れるという事は、逆に言ったら性癖にしか興味が無いという話で。
ラーメンハゲ……もとい芹沢の言葉をもじるなら「奴らはお前の作品を求めてるんじゃない。性癖を求めてるんだ」という話で、詰まるところ、別に作品自体に何の力が無くとも性癖がとんがってさえいればそれなりに見てくれる人が出てくるよ、という話になる。

これがいいのか悪いのかと言えば、短期的にはいいに決まっている。
頑張って創った物が誰の目にも触れないというのは本当に悲しいし、その成功体験を得るという意味ではこれ以上無い強力な方法だろうとも思う。
思うんだけど、そこで得られたモノというのは仮初めのモノで、評価されているのは作品そのものではなく性癖だよ、という事でもある。

だから、そのままそこに留まってしまったら必ずどこかで頭打ちが来る。
それだけならまだしも、別のジャンルや、あるいは健全モノなどに手を出そうモノなら、素の実力の無さを思い知らされる事になる。

で、人間、一度得た評価みたいなものをみすみす手放すっていう事はすごく難しくて。
だから、そのまま元のジャンルに留まってひたすら同じようなモノを作り続けるか、あるいは――自分の力の無さを痛感してそのまま創作から身を引くか。
そういう選択肢を取る可能性が高い。そこで心機一転「がんばるぞ!」って、どれだけの人がなるというんだろう。
まして、表だとどうにもならないから裏に来た人が、そこで一定の評価を得てしまった後に、結局自分の実力はほぼ変わってなかったとなったら……普通に心折れると思うんよね。

でさ……性癖って、絶対どこかで枯れるのよ。
悪堕ちだけで何個かは作れても、それだけで三年、五年、十年っていうスパン行けますか? ってなったら、さてどうでしょうね? っていう。
もちろんその一ジャンルでずっと活躍している人もいるけれど、それはある程度性癖を分散させてマイルドにして息を長くしているのであって、同人で見られるようにとんでもなく尖りきっているわけじゃないし、それが出来るだけの素の実力がある。
でも、性癖だけでしか評価されないような人は毎回毎回自分の限界まで性癖を尖らせなきゃいけない。そんな状態で作品を作り続けたとして――どれだけの期間持つでしょうね? っていう、そういう話。

もちろんこれは極端な話で、〝まず他人に見てもらえる事〟を足がかりに自分の技術を磨いてどんどんと新しいことに挑戦していく……というマインドでいれば自然と上昇気流に乗れるとは思う。
思うんだけど、実際にはそれはすごくすごく難しくて。
特に、エロで――性癖という武器で仮初めの評価を得てしまった時に、それを振り払うのって本当に難しくて。

だから「エロは性癖で殴れるからいいぞ」っていうのは正真正銘の甘言だと今は思ってる。
そこを足がかりにして先に進むっていう強い意志がないと、マジモンの悪堕ち――猗窩座の誘いに乗って鬼になってそのまま非業の死を遂げるような、そんな結末になってしまうくらいの劇薬。
その認識は持っておいてほしいなぁ……なんて、ね。

エッセイ的ひとり言備忘録
えろんのかんづめ

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