ダメなものをダメなものと見抜く能力

結局の所この力というものが一朝一夕には身につかず、その人の経験と生き方によって磨かれるものなんだろうな、なんていう風に思う。
よくある、いいものと悪いものを見分ける目、みたいなやつ。魚の鮮度とか、説明されりゃ分かるけどそれを実際に実行できる人ってのはちゃんと経験した人しかいないでしょってやつね。

で、何がいいたいのかというと、ボクはやっぱりパースの崩れとかデッサンの崩れみたいのはさっぱりわからない。
いわゆる『ダメな絵の見本』みたいなやつ見ても、誰かが指摘してる所見るまで「別にいいんじゃねーの……?」みたいに思ってしまう。
この原因はどう考えてもこれまでの人生でそういう見方、つまりはパースとかデッサンとかいう面で絵を見てこなかったからで、こればっかりはこれから意識して見ていくことでしか成長していかないから時間がかかるだろうな、と。
案外、天才ってのは新しいことを身につける能力というよりも、ダメなものをダメと見抜いて、それを本能的に理解して使いこなせる人なんではないのか、というような気もするね。

で、そういう意味で言うと、小説というか物語も正直いいとか悪いとかはよくわかんない。
文章力があるとかないとかのあれとかね。そもそも文章力ってなんやねん? ってのは未だに解決してない問題なんだけど、それ以外にもほら、物語を読んでその感想を事細かに言ってのける人って世の中にたくさんいるじゃない。
あれがね、ボクはできないんだよね。
要するに、あの有名な「脚本の人そこまで考えてないと思うよ?」ってやつ。
実際そういうふうに生きてきたので、自分自身そこまで難しいところまで考えて作ってない。

なのでここだけの話、感想欄で頂いた感想の中で「いやー、そこまでは考えてなかったなぁ……」みたいなことも極稀にあったりする(そうは言っても一応作者なので普通にそこまで考えてることが圧倒的に多いけど)。
悔しいからその場で設定に組み込んで「そうなんです。実はこれこれこうでこうなってまして……」みたいに返信するんだけどね(笑

なんにせよ、ダメなものをダメと見抜く力を身につけるためにはどうしたって時間がかかってしまうので。
こればっかりは地道に努力を続けていくことしかないだろう。
パースとかそういうものを出来る限り意識してインプットして、後はいろんなものをデッサンしてその自分の感覚と現実とのズレを矯正していくしかない。
正直自信はない。もう若くもないしね。最近頭を突っつくとなんか空洞がある感じの音がするし。大分脳の萎縮も始まってんだろう。

でもまあ、そんな泣き言を言っていても始まらないし。
昔みたいになんでも吸収することはできなくても、前に進まんってことはないだろう。
「できんかもしれん」とか「ダメかもしれん」とかそういう余計なことは考えず、今はまっすぐ進むことを意識してみようか。ね。

備忘録
えろんのかんづめ

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