やっぱりついったとの関わりはもっと劇的に見直さねばなるまい……

スイッチとPS4買ったせいでここ数ヶ月は土日にひたすらゲームするマンになっちゃってるわけですが、まあやっぱり他人の創作物を享受するってのは面白いし楽しいもんやなー、と。
なによりエネルギーがいらない。
最近のゲームってのはUIがきちんとしていることも多くて〝夢中にさせる〟ノウハウが凝縮されているからというのもあるかと思うけど、同じ一時間でも体……というか脳にかかる負担ってやつが段違いに少ない。
いやはや、創作なんてけったいな趣味だなー、なんて思いはするよね(笑

おまけに最近ついったのTLもあんま面白くないしね……。
二年以上も時間が過ぎればいろんな方面へ進んだ人とかも増えてきて、そうなると立場や関係性も変わって言ってることも大分変わったなー……と思う時もしばしば。
まあ、かく言う自分も大分変わった自覚はあるんだけど。
ぶっちゃけ昔ほど気楽に呟いてはいないよね。というかなんか思いついても「これ昔言ったことあるな……」とかってボツにしたりとかね。

いや、話が逸れた。
そんな感じで昔(といっても二年くらい前だけど)と比べると大分立ち位置も変わってきてる中で、どうにもこうにも、ボクらは〝創る〟ということに縛られすぎている感はある。
創ったからにはどうにかそれで活躍の場を広げたい、みたいな所に意識が向くのは分かるというか、ぶっちゃけボクだって何らかの形で爪痕を残したいとは思うわけだけど。
だからといってそれを主目的にしたら疲れちゃうぜ……とも思うんよね。
やってみたいからやってみる、位の気楽な感じでいいんじゃないかなー、みたいな、ね。

つか、経験上ごたごた言うより何より創って発表するっていうことが一番大事なんよ。
なんか適当なツイートが拡散するより、なんかの作品アップするほうがよっぽどフォロワーは増える。
まあ当たり前だわな。
ボクだってノクタ垢とは別で絵師さん結構フォローしてるけど、ツイート内容に注目してるってことあんまないし。

ツイートの内容なんてぶっちゃけおまけで、その人のモノの捉え方とか今ハマってるものとかをまったーり見つつ時々アップされる創作物(絵とか漫画とか、あるいは小説とか)を見て「うはー! 今回もサイコーだぜ!」ってなるのが一連の流れだし。
というか冷静に考えたら、創作論なんか言った所でそれが好きな人しか集まってこないわけで、逆説的に言ったら作者側の人間しか寄ってこないわけだ。
ボクがエロいこと呟くのも元々は自分の空想みたいのをメモるのが目的だったのであって、定期的になんか呟かんとなー……と思ってる最近の感覚の方がズレてる。

で、冷静に考えて、小説界隈ってそういう閉鎖的な感じが蔓延してる感はあるんよね。
いやまあ、ボクが絵師でフォローしてる人たちはいわゆる〝神絵師〟だから……と言われたらそうかもしれないけど、ただ、ボクの触れてきた限りだと書籍化してる人でも、というかなろう界隈にはそういう「ツイッター上でもなんかためになること言わなきゃ!」っていう感覚が根っこにあるような気はしている。

あんまよくないよねー、それ。
作者側ばっかり集まってきて、肝心の「作品を見てくれている人たち」に何も届いていかない。
かつ、ボク自身にとってもあんまよくない。ついついなんか言いたくなっちゃうし(汗
クラスタクラスタってなろう界隈(ノクタ含む)ではしばしば言われるけど、本当はもっと、オープンというか開かれた場所であるのが理想だよなーとは思うんよ。
何人かの作者で仲良くやってるって、それはそれでいいし一つのついったの使い方だと思うけど、ボクはあんまそれは求めてないなー、っていう。

別にいいじゃんね。
この漫画おもろいよー、でも。この作品に影響受けてんだよー、でも。
年明けにも思った、もっと気楽についったやってこうよ、っていうの。
あの時は普通に思いつきだったけど、今回も同じ結論に達したというかより強く思うということは、少なくともボクの中で一つの方向性として固まってるって事になる。

だからまあ、少し真面目に。
色々と、変えていきますか。

備忘録
えろんのかんづめ

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