最近守りに入ってんなー、ってのはひしひしと感じる。
じゃあ昔は攻めてたのかって言われると疑問符が思い浮かぶんだけど、少なくとも今みたいに見限ってはいなかったと思う。
なんていうか、物事全てに対して前向きに取り組んでいたと言うか、やること成すことすべて楽しんでたっていうか。
うちに漫画本が積まれ始めたのが果たしていつごろからなのかはもう覚えてないんだけど、
小説を読まなくなったのは大学に入った頃から。理由は電車通学じゃなくなったから。
ゲームをやらなくなったのは大学院に入った頃から。理由はわからない。
単純につまんなく感じ始めたっていうのもあるけれど、やってる途中で〝時間のムダだな〟とか思って醒めるって言うことが多くなってしまった。
長距離ドライブも、最近はあんまり楽しめていない。これも、移動中に〝まだここなのか〟とか考えることが多くなったから。
でも本当は、時間の無駄とか言ってないで楽しむのが正しいはずなんだよな。
そもそもそう言って違うことをやっていたとしても、結局だらだらしてたりするんだから。
ただ何ていうか、やること成すことに対する活性化障壁が大きくなっているというか、あれもこれもでアップアップになっているというか。
最短距離とか時間効率とかを意識すると上達からは最も遠くなる、というのはボクの持論だけど、ほんと時間とかそういうのばっかりで言い訳して行動しないって言うことが最近すごく増えてしまった。
本当はもっと純粋に楽しんでいたいのに。それができない。いつでも時間とか、本業とかに縛られてしまっている。
いやまあ、年を重ねたから〝時間〟ってやつを意識するのは当然といえば当然と言うのも分かってはいる。
さすがにこの歳になってくると、自由に動けるのは後何年だ? あとどれだけ好きなことに費やせる? っていう思いがふつふつと湧いてくる。
だから時間効率を考えて、〝無駄だ〟って切り捨ててしまうのも分からんくもない。
けど、本当は違うはずなんだ。
本当は時間なんか忘れて熱中するのが大正義で、余計なことを考えずに飛び込んでいくフットワークの軽さとか、衝動とか、そういうものをすごく大切にしなきゃいけない。
守らずに、攻め続けなきゃいけない。疲れたとか〝無駄だ〟とかいうのを言い訳にしちゃいけない。
インプットが足りないならするしか無いし、専門じゃなくてイマイチわからないなら研究しなきゃいけない。
キャラクターが似たり寄ったりになってしまうのはボクの今明確に分かっている欠点だし、濡れ場の描写も広がりがないっていうのは自覚している。
だから『これいいな』っていう表現を自分の中に落とし込まなきゃいけないのに、いざ実際に自分が書こうと思ってもなかなかそういう表現は出てこない。
研究するしか無い。前に進むしか無い。今ある場所で満足していちゃいけない。
……でも、その辺は全部綺麗事だ。
しかもその辺を意識すればするだけドンドン他のことに対して〝無駄だ〟という意識が強くなってしまう。
八方塞がり、みたいなもんだろうか。
ボクらが一日でかけられる時間というのは結局決まっていて、後は自分がやりたいことの中から選ぶしか無いんだと分かってはいても。
それでもやっぱり、〝時間の無駄だ〟と切り捨てずにインプット……というか素直に楽しむ時間を取りたいなぁ、なんて。
極力守りに入らず、積極的に新しいものを取り入れていくってことをしていきたいなぁ、なんて。
そう、思ってしまうんだ。
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