※毎年恒例の自分語りです。特に面白いモノでもありませんのでご注意ください。
今年が終わる。
といっても今年は12月はバタバタしていて、描き納めらしい描き納めもできず、なんなら今も実家でスマホを使いながらこの文章を書いているという具合だ。
おそらくこの記事が公開されるのも年明けだろう。12月のおシコりハイライトも同じく年明け。いやはやうまくいかないものだ。
なんでこんなにバタバタしてるのかというと理由は簡単で、12月からまた会社員を始めたからである。
うん、つまり去年立てた目標は未達に終わり、生きていくために渋々、戻りたくもない会社員という道に一旦舞い戻ったというコトだ。
ただまあだからといって何かを諦めたわけでもなければ、腐っているわけでもない。
むしろこの一年の間に得られた知見というのはとても大切なモノばかりで、今後振り返った時に間違いなく「あの一年があったから今がある」と言うことになるだろうという予感がある。
それくらい濃厚な一年だった。
届かなかった目標と、見えた課題
さて、去年の今頃、目標(イキってKPIとか言ってるが)として「一作1000本売る」というのを掲げている。
これは別に適当な数値をぽんっと挙げたのではなく、そこに届けば会社員という道を選ばずにギリギリでも生活できそうだという見立てで、詰まる所これが達成されれば再び会社員をやる必要は無かったわけだ。
ただそれは前述の通り達成できなかった。
原因は色々ある。
土台相当夢見がちな目標だったというのはあるし、そこに届くだけの実力が無かったというのも事実だ。
ただ実際のところ恐らく一番原因として効いているのは〝やりたいコトだったらいくらでもできる〟というのが幻想だったという現実で、やりたいコトだろうといくらでも永遠にできる訳ではないという、当たり前と言えば当たり前の話だった。
一応最初に断っておくと、世の中にはやりたいことならいくらでもできるという人はいるんだと思う。
だからここで言っているのは、少なくともボクはそうではなかったという話だ。
考えてみればボクはゲームや読書だろうと何時間もぶっ続けでやり続けるというのは難しくって、それができるゲームもあるけど、それでも一日のプレイ時間にして大体10時間もすれば飽きる(例外もあるが)。
そして何よりそんなプレイができるのはせいぜいクリアまでで、つまり最高でも三日か四日くらい。
要するに、毎日10時間を数ヶ月に渡ってやり続けるなどこれまでの人生でできた試しがなかった。
冷静に考えればそうだったのに一年前のボクはできる気がしていた。
自分がきっちり集中して長時間取り組めないのは仕事というガンのせいで、それさえ無くなればいくらでもできるだろうと、本気でそう考えていた。
で、ムリだったのだ。
実際、一日10時間どころか、8時間作業するというのすら非常に難しい。
会社員はみんなそれをやっているが、それができるのは一つにはそもそもその8時間ずっと集中しているわけではないというコトと、もう一つはそのための仕組みが〝出社〟というシステムだからだ。
要するにルールで縛り付け、その上でそのルールに従う他の人がいることでボクらのような凡人はどうにかこうにか一日8時間の労働を為しえているのである。
たった一人で長時間作業し、それをコンスタントに(一ヶ月とか、半年とか、あるいは数年とかいうスパン)続けるには多分特殊な才能のようなモノや適性、ないしは相応の習慣づけを行う努力が必要で、多くの人はそれを持ってはいないし、すぐに身につけられるものでもないのだろう。
これが、ボクが得た一つ目の学びだ。
どうやらボクもまた、一人ではダメなタイプだったらしい
さて、この一年間で得た学びで最も大きいと思っているのが「自分は孤独は好きだし、だから一人で黙々と作業していける、一人でも平気で生きていける」という信念というか思想というかが打ち砕かれたというコトだろう。
有り体に言ってしまえば、ボクもまた一人ではダメな、どこにでもいる普通の人間だったというコトだ。
なぜそんな気づきを得たのか。
その話をするために丁度一年くらい前。
2022年の1月~6月くらいに話を巻き戻そう。
2022年の1月。
この頃ボクが何をしていたかというと、『洗脳令嬢【奉雌07】』に着手していた。
当初この作品は1月末には出したいとか考えていて、そのために全力で走り抜けようと――それこそ、一日12時間どうにかして稼働しようと必死になっていた。
けれど実際には無理だった(奉雌の発売日は最終的に3/11だ)。
それは上に述べたようにそもそもそんな長時間で長期間やり続けるなんていうのができもしないコトだったというのもあるけれど、それ以前の問題として日に日に弱っていったのだ。
身体の面でも、そして何より精神面でも。
最初に身体の話をしよう。
例えば2月、ボクは慢性的な脱水症状でダウンしたことがある。
原因の分かっている今では単なる笑い話だけれど、あれはあれで色々と学びのあるコトだった。
それ以外には、姿勢を中心に色々と意識しないと肩こりを筆頭に節々に異常が出て長期間の作業ができないというのも当時は甘く考えていた。
長時間作業するには長時間作業するための環境が必要なのだと一年前のボクは知らなかったのだ。
(前職の会社員時代も含め、これまではデスクワークと実作業が半々くらいである種バランスが取れていた)
そして精神面。
これは本当にボクのこれまでの価値観を打ち砕く話だったんだけど、当時ボクは誰かと話したくてたまらなかった。
一人で平気だとこれまでずっとそう信じてきたのに、仕事を辞め、黙々とパソコンに向かい、人との会話がレジで「袋お願いします」だけになった生活を半年ほど続けた結果、「人と会話をしたい」と思ってしまったのだ。
30年以上生きてきて初めての感覚だった。
あの感覚を言葉で表現するのは難しい。寂しいとかいうそういう感情的な話でもない。
ただなんとなく思うのは、どうやら人というのは会話を通じて自分の立ち位置というかあり方のようなものを無意識に調整しているようで、会話が全くなくなるとそのバランスが崩れるというか、スタビライゼーションに失敗するらしい。
自分自身があやふやになる、とでも言い換えていいのかもしれない。
少し哲学的な話をすれば、自己というのは他者の観測によって成立するモノ、というコトなんだろうか。
シュレーディンガーの猫ならぬ、シュレーディンガーの自意識、みたいな。
自分自身というのは他者の観測によって成立し、自分が〝自分〟だと思っているものは観測されるまで形が決まらないような、それくらいあやふやなモノなのかもしれない。
それはともかく、この経験以来ボクは「誰かとずっと一緒にいる(=結婚とかいう概念)」というのも悪くないのかもしれない、と思うようになった。
だからといって何かをするわけでもないし彼女がいるわけでもないけれど、これまでとは180°違う思想というか感覚に自分自身が一番驚いているし、仲のいい友人からも「お前の口からそんなセリフが出るとは夢にも思わなかった」とかなんとか言われる始末。
それくらい、これまでの価値観が一変するような大きな出来事だった。
これがこの一年間で得た二つ目の、そして大きな学びだ。
冒険をするために〝冒険をしない〟という選択
さて、今年の学びの三つ目。
それが『冒険をするために〝冒険をしない〟』という話で、一般的な表現に換言すれば『副業はまず〝副業〟として始めましょう』に帰着すると思う。
(念のため言っておくと、創作活動を副業と捉えたコトなんて一度もない。あくまで一般概念で言うとそれが近いという話だ)
どういうコトか。
これはもう単純な話で、この一年間CG集を作る過程で『リビドー<売れそう』という不等式がベースになってしまったというのがある。
百合描きたいなぁ……でも売れ筋からほど遠いよなぁ……みたいな。
まあそれでも百合っぽいシチュ入れたりはしているんだけど(堕ち雌とか)、作品作りの際にどうしても売れそうなタグを調べ、そこに乗りそうなシチュエーションを考え……というようなコトが先行してしまって、その中で性癖を花開かせる……という思考過程になってしまった。
いや、これが戦略的に正しいというのは分かっている。
分かっているんだけど、「そういうコトがしたかったのか?」という思いもまた強い。
そして何より一番しんどいのは、そうして一生懸命「こうしたら売れそう」とか考えて作っても、結局は他者評価だからどう転ぶかは分からない。
それどころか、こうしたらウケなさそうだからこの辺に留めておくか……とか、本当はこうしたいけどこうしておこうか……とか、そういう感じでリビドーを抑えて頑張ったのに、意味なかったやんけ……!! みたいな、そういうドス黒いというか、よろしくない感情が湧き上がってきてしまうのが一番辛い。
そんな思いが出てくるくらいだったら好きなように作った方がいいし、ボク自身はそうしたいという思いが強い。
が、〝生活する〟となるとそんな甘いことも言っていられない。売れる物を作らなくちゃいけない。
「仕事とはやりたくないものも含めて仕事」なのだからそれは当然。
こうしたい、こうありたい、こういうモノを作って届けてみたい――といった〝冒険〟はするべきではない。市場を分析し、確実に〝売れる〟もの作り上げていくのが大切。
ごもっとも。正論だ。
だからこの一年そういうつもりでタグを分析し、売れ筋を調べ、ボクにできる限りの努力で〝寄せて〟みた。
やるべきコトはやってみたのだ。
そしてその上で――『冒険をするために〝冒険をしない〟』というのが結論だった。
つまり創作活動はあくまでも趣味にして、生活の軸自体は別のところに持つ。
とりあえず食べていけるだけの稼ぎは別の所で確保する、という〝冒険をしない〟ことで、好きなモノを好きなように詰め込むという〝冒険〟をする。
もちろん将来的にこの考え方は変わるかもしれないし、そもそも今でも創作活動で生きていきたいなという目標は諦めていない。久しぶりに会社員をしてみたけどやっぱりしんどい。
でもそれは残念ながら今すぐできるコトじゃない。
一年やってみたからこそ自分に足りないところとか見えてなかったところが明確で、〝目標〟と〝現実の自分〟がどれくらい離れているのかもよく分かった。
だから修行するしかないし、その修行期間中に〝守り〟――すなわち〝冒険しない〟という選択を取るなんてできるはずもない。
攻めて、攻めて、攻めて行った先に見えてくるコトもある。
一年間、挑戦こそしていたもののある意味では〝守り〟の姿勢で行ったからこそ見えたコトもある。
再び会社員にはなってしまったけど、今のボクにはこの一年で得た大きな学びが沢山ある。
だから今度は「仕事があるから」という言い訳は成立しない。
一度本気で専業を志したからこそ、それが本当に、ただの言い訳に過ぎないことは骨身に染みて理解している。
今年は〝冒険〟をしたい。
それが本年の目標だ。
2023、始動……!
というわけでざっくりと2022年を振り返ってみた。
結構抽象的というか、内部事情的というか、あまり表には出してこなかったし出すようなものでもなかった話だったので面白い話でもないけれど、まあ一年に一回くらいはいいだろう。
ただそうは言ってももう少し具体的に、作品を振り返るような形でも簡単に触れておこうか。
2022年に出した作品というのは『洗脳令嬢【奉雌07】』『堕ち雌には堕ち雌の矜持がある』『聖女ユディの堕天録 ――肉欲に負ける聖なる使者――』の三作で、それぞれ3/11, 5/21, 10/29に出ている。
こうしてみると「もっとペースを上げられんのか?」と思うけれど、例えば1月2月は前述のように肉体的にも精神的にも参っていた時期だし、2月~5月にかけては「これで1000届かなかったら就職含め色々考え直すしかない」というような精神状態だったし、そこに届かなかったからこそ「時間を取って、一度諸々見直そう」という判断をした。
そうして7月から本格始動したのがユディだから、ユディの制作期間的は実際は3ヶ月半くらいだ(それでもかかりすぎだけれど)。
ユディの結果が出る頃には12月からの就職は決まっていて、だからこそ「ユディであれだったら、少なくとも今の自分に何かをどうこうできる力はない」と諦めもついた。
ユディはこの一年間+αの集大成で、それまでの四作で得た知見をきっちり詰め込んだから後悔もない。
ただただ単純に、この先に行くためには修行が必要で、そのための時間が〝これから〟だという話だ。
というわけで、2023年。
この濃厚で沢山の学びを得た2022年を経たボクの今年の目標は、前述の通り〝冒険〟をすること。その一つが今描いている『マンガ』という媒体での挑戦だし、他にも色々とやってみたいコトがある。
2022年は挑戦し続けたけどある種守りに入ってしまった。
だから今年はそういうのはあまり気にしない。できる限り、全力で、好きなように。
頑張ろう……!!
ではでは。皆様よいオナニーライフを……!
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匿名きぼんぬ! の場合はましまろもありますのでよろしくお願いします……!
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