プロになると楽しいボウリングはできなくなる

「デビューしてからが大変だよ」と言ってる作家さんとか「息抜きに趣味の絵描きました」とか言ってる絵師さんとかを見る度、ボクはこのセリフを思い出す。
もう十五年かそれ以上前くらいの話だと思うんだけど、当時のボクにとってあまりに衝撃的で、多分今の価値観の根幹を成してる言葉の一つだと思う。

このセリフは友人から聞いたモノなんだけど、小学校高学年から中学校の真ん中くらいまで、ボクとその友人はそれぞれ親に連れられてボウリング教室的なものに行ってた。
で、そいつがまあうまかったんだ。
プロになる場合確かアベレージで200以上あればいいんだけど、そいつは普通にそれだけあったんね。
本人曰く「ここ(ホームのボウリング場)だからであって、ほかも混ぜるとそこまでいかない」だったらしいんだけど、比喩でも誇張でもなく、彼はプロになれるあと一歩の所の位置に立っていた。

だからまあ、子供だったボクは言ったわけだ。プロになればいいじゃん、と。
そしたらそいつは普段割と笑ってる事が多いんだけど、真面目な顔で「プロになると楽しいボウリングはできなくなる」と、そう言ったんだな。中学校位の段階で。
多分、ボクとは見ているステージが全く違って、分かっている課題も多かったんだろう。
当時の、というか今でもボクはそのステージには立ててないんだけど、そんなことより「プロになるというのは楽しくないことなんだ」という価値観そのものは当時のボクに突き刺さって、それは今でも生きている。

っていうか実際、仕事になると何でも楽しくないしね。
事務職は知らんけど、いわゆる技術職は技術のプロだし、営業はコミュニケーションのプロであって、程度の差はあれど世の中にプロフェッショナルってのはたくさんある。スキルでお金をもらうって、そういうことだ。
というかむしろ、お金を稼ぐって多分そういうことで、何らかのスキルがあるからある種〝プロフェッショナル〟として食っていける。
そうでない場合はAIに変わられるなり、バイトになるなり、そういう形で跳ね返ってくるんだろう。

んで、仮に好きなことでも仕事になると〝責任〟ってモノが生じてきて自由に動けなくなる。
つい最近プロ野球選手で「野球が楽しいのはプロになるまで」っていうインタビュー記事を見たけど、結局どの世界でもプロになるっていうのはそういうことなんだろう。
かの有名なヒカキンさんも、その裏側自体は常人にはとても真似出来ないような〝苦行〟だらけだしね(多分本人はそうは思ってないか、それでも好きだからやってるのどちらかだと思う)。

ボクが書籍化とか人気取りとかそういった面に全く興味がないのは結局当時友人から聞いたこの言葉が根っこにあって、特に創作に関しては出来る限り責任を負わずに自由にやりたい、みたいな、そんな部分がある。
(じゃあ万一オファー来たらどうすんの? と言われたら、条件次第で普通に受けるだろうけど(笑) 所詮人の意志なんてそんなもんだ)

なんにせよ結局、どんな分野でもプロフェッショナルになるっていうのはそういうことで。
それを受け入れて好きなこと=プロとして生きていくか、それは切り捨てて趣味と割り切るか。
ボクは後者だな。プロフェッショナルになるのはそんなに好きでもないことで十分だし、それが本業だし(ぇ
もちろん趣味のものであっても仕事として引き受けたものは相応の責任を持って今の自分でできる全力で事に当たるけど、それはあくまでも支線であって、とてもソレを本業(自分の人生をベット)にはできないし、したいとも思わない。
正直、面白い話or他人に受ける話を四六時中考えて形にする、とか、考えただけでも発狂する。

「プロになると楽しいボウリングはできなくなる」

子供の頃に聞いた彼の言葉はそれくらい、今のボクの価値観に根付いている。
(ちなみに彼は高校くらいでもうボウリングはやめて、今では触れてもいないはず。やっぱり色々あったんだろう)

備忘録
えろんのかんづめ

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