長編とエロとは相反する

昔は「エロ小説書くんだからエロ特化に決まってんだろ!」と思っていたんだけど、最近はエロ特化書くんだったら短編でよくね? みたいな結論に達しつつある。
というか、エロ特化を目指すとどうであれ短編の構造を取らざるをえんくない? という方が正しい。

だから文章量的に言えば『転生勇者の享楽』は二十万字overだけど、構成としては短編のそれだ。
話として特に大きく展開させたってわけでもない。
その一方で『そしてTS娘は愛される』は長編の構造を取っている。最後の数話はおまけだし文字数も大して多くはないけど、後編までの流れで見ればこの作品は間違いなく〝長編〟作品だ。

こんな結論に達したのは結局の所〝小説というのはどこまでいってもストーリーとは切り離せないな〟という至極当然の帰結を迎えたからだった。
というか、〝小説でしかできないエロ〟を必死に模索しているうちに、そもそも〝小説とはなんなのか?〟っていう部分にどうしても目を向けなきゃいけなかった。

じゃあ小説って結局なんなのさ? というのを突き詰めていくと、やっぱり〝ストーリーがあること〟ということに繋がる。
もうちょっと抽象的に言えば〝テーマがあること〟だ。
だからエロ特化を先鋭的に突き詰めていくと必然的に短編の形態を取らざるをえない。

なぜならその小説のテーマは〝エロ特化〟だから。

もちろん堕ちモノなら堕ちモノなりの矜持というか、〝オレの見せたい堕ちモノはこれだ!〟という熱量はあるんだけど、テーマは堕ちモノなわけで、だからそこに付随するストーリーはおまけ。
物語として読んだ時に面白いか? というとそれはまた話が別で、要点だけかいつまんだら何も話が動いていない、みたいになるのはいわば必然の流れと言える。

そこを無理して頑張ろうとすると『その日暮らしの魔族暮らし』のように方々で無理が出てきて地獄を見ることになる。
なにせ〝このエロをやりたい!〟というのと〝話を進めたい(書きたい)!〟というのは相反する現象なんだから。
世の中にはそれでうまいことバランスを取っている作者さんもいるけれど、少なくともボクはそのバランスを取ることができないし、〝エロはおまけでストーリーがメイン〟というのがノクタに氾濫していることから大概の作者さんもそうなんだろうとは思う。

というか、そういう構造の作品が受けやすいというのも、そもそも母体が小説サイトなんだからと考えたら当然の結果のように感じる。
結局エロ小説エロ小説と謳いながらも求められているのは大概の場合〝えっちぃシーンもある小説〟であって、そうである以上ストーリーの比重がある程度乗ってくるというのはごく自然の流れなんだろう。
ぶっちゃけ、エロを求めているのに長々とストーリーを展開されても迷惑なので〝エロい小説〟を求めている側からしてもストーリーというのは邪魔だったりする。

というわけで、もしもエロい小説が読みたいのであれば基本的には短編を探りましょう、ということになる。
もちろん世の中にはエロに全振りしながら長文を書いている作者さんもいるけれど(犬侍さんとか)、それは例外だっていうのは知っておいて損はない。
とりあえず最初の一手で探すのは短編の方が当たる、っていうのはついった見てる限り大体共通認識っぽくて、それは結局〝エロとストーリーは相反する〟っていう因果関係ゆえに避けて通れない命題なんだと思っている。

だからボクは、今度〝長編〟を書くとしたらエロシーンが少ないことには目をつぶるつもりだ。
その分エロい話はエロい話で短編として表に出していきたい。
それがなろうの区分、ないしはシステム上長編に位置づけられるのであったとしても本質的には短編なので、その意識を持っているか持っていないかだけで気持ちはぐっと楽になるはずだから。

ノクターンノベルズ小説全般
えろんのかんづめ

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