『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』感想。※ネタバレ

※がっつりネタバレ含めた感想、もとい本心の叫びです。ご注意ください。

昨日、明日はいい加減『天気の子』を見るか、ヤバいと噂の仮面ライダーを見るかどっちにしよう……と上映映画を見ている時にドラクエの映画が公開されている事を知って、結局そのままチケット購入で今日見てきた。

この映画、存在そのものはプロメアあたりを見た時に最初の広告で流れていたから知っていて、その時に〝海の中に船〟という構図を見た瞬間「ドラクエっぽいなぁ……」と思ったら序曲の「ぱーーーぱららぱっぱっぱーー」が流れて「ほんとにドラクエかよ!」って驚いた記憶がある。
ドラクエっていうのは長年形作ってきた大切な雰囲気があって、だから見た瞬間に「ドラクエっぽい」って思うモノがあるんだ……というのをその時はっきり感じた。
いわゆるブランドイメージってやつだ。

で、ボクはRPGと言えばドラクエ派で、FFはそんなに好きじゃない。
それでもRPGが好きなのでやるし、FF5, FF6, FF8, FF9は普通に名作だと思ってるし大好きだ。
けれど、そんなFFに対する大好きを全部ひっかき集めても〝ドラクエが好き〟には届かない。
世界中の大好きを集めてもキミに届けたい思いに足りない、ってやつだ。

だからこそ、なんだと思う。

 

正直この映画、しんどかった。

 

いやもうほんと、途中から「ボクは一体何を見せられてるんだろう……」って、時計見ながらずっと考えてた。
で、ボクは基本的に感想っていうのはできるだけニュートラルというか、感情を込めないで書きたいとは思ってるんだけど。
ごめん。ムリ。

だからこの映画が好きな人は今すぐブラウザバックしてほしい。
あとネタバレが見たくない人もすぐにブラウザバックしてほしい。

ここから下はネタバレがっつりなうえボクの悲痛な叫びしかない。
だから、それでもいいって人だけが進んでほしい。
ここから下にあるのは、ボクといういちドラクエファンがこの映画について感じた正直な気持ちだ。

 

 

 

※以下ネタバレ!

 

 

 

さてさて、この『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』という映画、ベースになっているのはご存知Vだ。
ボクはスーパーファミコン世代で、ドラクエといえばV-VI-VIIで幼少期を過ごした人間に当たる。
だから個人的な天空シリーズに対する思い入れというのは強くて、ドラクエで何が好き? と聞かれたらVIとVで選べないくらいにこの二作品には思い入れがある。

とはいえVという壮大な物語を二時間という尺に収めるにはたくさんの箇所を端折らなきゃいけないのはだからこそよく分かるわけで、サンタローズが滅ぼされないだとか、ラインハット関連はごっそりスキップ(マリアも登場しない)だとか、何故か青年時代前半にブオーンが復活しててけれどルドマンには執着していないとか、天空シリーズは剣しか登場しないとか、テルパドールどころかグランバニアすら登場しないだとか、双子の妹が登場しないだとか、マーサが天空人という設定になっててエルヘブンは名前すら登場しないだとか、天空人はいるけど天空城については全カットとか、そういう部分については「そりゃしかたがない」と割り切るというか、映画としてきちんと昇華させてくれているんなら問題なかった。
欲を言えば娘は欲しかったけど仕方ないだろう。物語的な意味合いで言えば息子だけで十分であるのはみんな知ってることだし、尺の関係上どうしたってあれ以上登場人物は増やせまい。

だからボクが許せないのはこういった要素を全カットしたことじゃない。
そんなのは問題じゃない。

この作品には冒頭で触れた「ドラクエらしさ」が一切ない。
かろうじてすぎやま先生の曲と鳥山先生の生み出したモンスター達が「スクエニ公認です」というのを示しているだけで、ドラクエの空気感を体現してんのは最初の〝海に船〟ってシーンくらいじゃないかというレベル。
で、じゃあ代わりに何が表に出てんのかって言うと、もうこれが〝耐えきれないレベルでの邦画臭さ〟だ。

最初に日テレのロゴが出た瞬間〝やっちまった〟って思ったけど後の祭りで、へったくそな俳優の声あてに誰も望んでない形で表現された〝ビアンカとフローラ〟の迷い方。
どっち選ぶの? っていうのはもちろんVがベースと知った瞬間にみんなが思ったことでだからこそそこは絶対に外せない、触れなきゃいけない展開なのは百も承知。
でもだからってあれはない。
邦画特有の無意味な顔のアップに謎の間、寒いセリフに白ける展開。空間とセリフが分裂してしまっているあの独特の気持ち悪さ。

分かる? 例えば酒場でビアンカにプロポーズするあの場で、わざわざ本名で呼んで手を取る、なんていういかにも邦画らしいキザったい表現が「空間とセリフが分裂してる」っていうの。
普通に立ったまんま振り返って、
「だから――これからは一緒にいてほしいんだ、ビアンカ」
「――うん」
で十分なんだよ。
「一線を超えちゃったんだよ……?(うろ覚えセリフ)」って言わせるならもう少しリュカが強引に、というか、ビアンカの迷いを振り切らせるような展開じゃないと不自然なんだよ。
あの場であんなセリフが出てくる事自体に「スポンサーの意向」とか「こういうの好きだろお前ら?」とか、そういう邪な、邦画特有のパチもんくささが出てくるんだよ。

こういった節々にドラクエらしい洗練された趣が一切なくって、このへんくらいから顕著に「なんだこれ」っていう感想だけがひたすらに積重なっていく。

オチにしたっておまえ、もう少しやり方があるだろう、っていう。
ビールと風呂問題がある以上最終的なオチはああいう方向性(いわゆるデウス・エクス・マキナによる前提条件の崩壊)に持っていくしかないのは分かるしそこは別にいいんだけど、一応敵の消滅の仕方が変という伏線は最初から張ってあるものの他は全て後半にぽっといきなり出てきて意味不明。
唐突に「今回は」とか出てきても「何いってんだお前」にしかならない。
大体あれじゃあプサンは全てを知ってるってことでいいんかい? フローラも、何千何万と振られてきたから感づいてるっていう、そういう解釈でいいんかい?
ほんと、お粗末なんだよなぁ……。

あと、曲とラストの展開、あれも腹が立って仕方がない。

ボクね、終盤までずっと「この作品はIV以降の曲しか使わないんだ」って思ってたの。
聞き逃してる可能性もあるしもしかしたら超序盤でIII以前の曲使われてたかもしれないけど、ボクが把握している限り、劇中III以前の曲は最終盤に二つしか使われていない。
で、ドラクエXIがロトをテーマに、特にIIIの曲多めでひたすらロト押しで来たからこそ、今回は天空シリーズを中心に行くんだと思ってた。
Vは当然として、IVの「戦闘-生か死か-」「馬車のマーチ」VIの「魔物出現」「ムドーの城(はざまの世界のフィールド曲)」「精霊の冠」「迷いの塔」「勇気ある戦い」「敢然と立ち向かう」IXの「決戦の時」。
ぱっと思いつくだけでもこれくらいは最低使わててて(もちろんVの曲もたくさん、というかメインはVの曲)、そしてXIですごくよく見られたロト押しがまったく無くて「XIがロトファンに作ったなら、この映画は(一応)天空ファンに向けて作ったんだ」って、そこだけは評価してた。

してた、んだけど。

最後さぁ、もう突っ込むのもアホらしい展開の末スライムから受け取った剣、あれどう見てもロトの剣なんだよね。
で、最後の最後。スタッフロールがまさかの「そして伝説へ……」。

いや、あの、さぁ……。

その直前、「この道我が道」が流れた時は「まあこれは仕方がないな」と思った。
展開的にここで流れるのはすごく自然だったし、これしかないとも思った。
けどさぁ……「そして伝説へ…」は違うだろ。
あのエンディングならむしろぴったりなのは「時の子守唄」だろ。
なんでVIの、天空シリーズを締めるため「時の子守唄」じゃなくて、VIの夢の世界を彷彿とさせるあのエンディングに大して「そして伝説へ…」なんだよ。

この展開でこれを選択したのは一体誰なんだ。
すぎやま先生が言ったんだったら「そして伝説へ…」はそういうメッセージも込めた曲なんだと納得するし、堀井さんなら「ドラクエの生みの親が、ドラクエというブランドを護ってきた人がそう言うんなら」で納得するけど、そうでないならボクは「この映画を作ったやつはドラクエを知らない」と断言できるぞ。

だってその直前のラスボスのメッセージが「大人になれ」やで?
いきなり庵野監督みたいなこと(アスカの「エヴァの呪い」とかね)言い始めて、ボク自身は到底こんなもの堀井さんが言ったとは思えないんだけど、百歩譲ってそうだったとして、そんな、一応この映画のテーマのようなモノを問いかけておいてなんで「ロトの剣」に「そして伝説へ…」になるんだよ。

 

ロトにこだわってんの誰だよ! 大人になれよ! 次の時代に行けよ!

 

って思ったの、絶対ボクだけじゃないだろう。

総じて、ほんと、何がしたいんだか誰向けなのかも分からなかった。
少なくともドラクエファン向けじゃない。
かといってドラクエ知らない人向けでもない。
なんせ少年時代はゲーム画面を使ってのほぼ全飛ばし。
ストロスの杖の下りとかは特に、元のゲームをやっていないと訳がわからないと思う。

だからもう途中から、後ろの席の方に座っていた子供が不憫で不憫で……。
お父さんお母さんに連れられてきてる子が多いのか自分から見たいと言ったのかはわかんないけど、冒頭からしてVやってない人間は置いてけぼりな上、知らなきゃストーリーラインも分からんのははっきりしてて。
そのくせ最後はペプシマン的に登場したタブー(スマブラX)みたいな、明らかに浮いてる訳分からんのがいきなり出てきて。(あれ鳥山先生描いたのかな? 最初「誰だこれデザインしたの」って思ったけど、ラヴォスコアっぽいと思えなくもない顔のデザインだからもしや鳥山先生なのか? とも思ったり)
子供もV初見も分かるはずのない内容に、Vを普通に知ってる人間からすると多分「えぇ……」となるお話。
そしてドラクエ好きからすれば到底〝ドラクエ〟とは思えないお粗末な内容。

もう一度聞くけど、これ一体誰向けに作ったんよ。

勇者ヨシヒコの方がよっぽどドラクエしてたで、マジで。
名探偵ピカチュウっていう、「オレ達こんなにポケモン好きなんだ! 原作超リスペクトしてんだ! オレ達のポケモン愛を見てくれ!」っていう熱気をムンムンに感じられたあの素晴らしい映画があったからこそ、この、ドラクエらしさを全く感じない謎の作品に対する落胆と言うか、大好きな作品を汚された辛さというか、そういうものがずっと胸の中に籠もっている。

とりあえず、こんな感じかな……。
もしもまた映画化とかそういうことするなら、今度はちゃんと、ドラクエが好きな人に作って欲しいです……。
あと、今度はちゃんとアニメで実績残してる監督にしたほうがいいと思うよ。
3D云々の好みというより、これは明らかに邦画の枠だから。
だからなおさら「分かってない」感が出てしまっているから。
邦画のクサさが好きな人には多分、この映画は「わけわかんない」よ。
ドラクエが好きな人にはほぼ間違いなく、この映画は「許せない」よ。

っていうか、こんなんだから久美沙織先生に許可取らずに〝リュカ〟って名前を平然と使っちゃうんだよ。

リュケイロム・エル・ケル・グランバニア
ティムアル・エル・ケル・グランバニア
ポピレア・エル・シ・グランバニア

ボクみたいなVドンピシャ世代にとってはあまりに馴染みのある名前で、ティミーは〝ケル〟なのにポピーは〝シ〟なのなんでだろう? と当時思って、大学生になった頃に格変化なんだろうって結論づけた。
多分、久美先生はそこまで考えて彼らの名前をつけたんだ。
そして〝リュカ〟っていう名前はファンならみんな知っていて、だから映画の主人公の名前が〝リュカ〟って聞いた時すごくしっくりしたしそれしかないと思った。

なのに許可取ってないって。

そんな制作陣だからこんな映画になったんだって、ものすごくしっくりきてしまう。
あまりにお粗末。原作に対するリスペクトが足りなすぎる。
ほんと、褒めるとこなんてしれーっと時の砂使ってるっていうファンサービスくらいしかないからね。

あ、あと、ビアンカのモデリングは可愛い。これはマジ。
動く姿とかほんと可愛い。マジで可愛い。超可愛い。やばい(語彙力

……はぁ。でも、ほんと、褒めるとこその二つくらいしかないからなぁ……。
なんか、ほんと、しんどいというか、つらい……。

感想
えろんのかんづめ

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