プロセカの映画見てきたよって話

昨日ガンダム見たとか言ってなかったっけ?
うん。昨日ガンダム見て、今日プロセカの映画、もとい『劇場版プロジェクトセカイ 壊れたセカイと歌えないミク』を見てきた。
二日連続で映画館に行くというのは初めての経験で、普通そんな、見たいモノが重なるなんてことないからなかなか貴重な体験だったと思う。

それはともかく。

普通に面白かったので、備忘録も兼ねてつらつらと書こうかなと。
なのでネタバレ全開なのと、あと、この記事に年齢制限はないけど、この記事を書いている人とこのブログ自体はR18なので、なんかの間違いで辿り着いちゃった人はブラウザバックしてほしい
いやマジで。
もし万一、あなたが中高生やそれ以下ならすぐにブラウザバックだ。ここに、キミが望むようなモノは何もない。

さて、安全マージンを取る間、プロセカについてどれくらい知っているかの話をしておこうか。

え? お前やってたの? と言われると、昔やっていた、というのが回答になる。
具体的にはアペンドモード? だったかが実装された辺りまで。
なんでそこでやらなくなったのかというと、ソシャゲに時間を奪われているという状態が大分深刻化していて、一番時間を食われていたプロセカをまずやらないようにしたから。

いやほんと、音ゲーって余裕で30分とか消費するので、なんかの拍子にプロセカ開く→数十分単位で消える、のループがヤバくて「これは、ここでこの連鎖は断ち切るべきだ……!」となって「えいや!」とやめた。
時期的にはちょうど進級の前になるから、ボクの知っている登場人物達は当時のイメージだ。

あと、やめた経緯は上の通りなので、別につまらなくなってやめたとかそういうわけではない。
というかニーゴの話は今でも気になっているし、最近瑞希関連で大きく話が動いたらしいので「ストーリーだけでも追いに戻らないとなぁ……」とか思っていた所でこの映画の話が耳に入った。

じゃあ見に行くか、と。

ちなみにプロセカの話というのは10代向けなので、普段ひねた話ばかり見ているおっさんのボクにとっては非常に眩しい。
けれどその眩しさは凝り固まった自分の好みに対しては異物で、だからこそ、プロセカを起動しなくなってからは思考の硬直化が進んだような気もする。発見がなくなったというか。

じゃあ見に行くか、と。

本当はレイトショーとかにしたかったけど、さすがに二日連続で夜(しかも土曜の夜)に出る気力は無かったので、午前中の用事のついで、13時台のに寄ることにした。
経験上この時間帯はカップルか親子か若者かが多くて肩身が狭いんだけど、土曜の夜に出るよりはマシっていう苦渋の決断だ。

……そろそろいいかな。

じゃあ、つらつらと始めよう。

 

穂波ちゃんのがに股が素晴らしいからみんな見に行こうな

だからブラウザバックしておいて、って言ったろう?

というわけで、普通に印象的だったのはこれである。プロセカをエロい目で見るな
いやまあ、レオニのムービーとか見たら多分普通にそういうシーンはあるんだろけどプレイ中にそんなとこ見る余裕なんてないし、なによりこの映画、多分モーションキャプチャとか使ってるんじゃないかなぁ……?

何が言いたいかというと、穂波の動きがガチのドラマーのそれだっていうこと。
ふだんのあのおっとりというか、ぽやぽやしている姿からは全く想像できない力強いドラムというのがまずギャップがあって素晴らしいんだけど、そもそもおっとり系の女の子なのでスカートで座る時に足を開く姿は想像できないし、してないと思う。少なくとも記憶にはない。
が、ドラムにはペダルがある。それを踏むためには股を開かなきゃいけない。
まさに合法的なJKのがに股である。プロセカをエロい目で見るな

そんなわけで、ボクが密かに感動していたのはライブシーンのそこだった。
あと、えむの動きが(いい意味で)うるさい
ワンダショのPVとか結構動いているイメージあったけど、それの二割増しくらいでうるさい。最高。

まあ、もしかしたらこの辺ってストーリーのアフターライブとかでは見れるのかもしれないけど。
アフターライブって一度しか見たことないので分からん。
スマホでいつでも穂波のがに股見れるんだったら見てみてもいいな。

まあ、それはそれとして。

全体的に、テキストだと分からない普段の何気ない様子が見れたのがよかった。
個人的にはニーゴの面々のチャットの始まり方とか結構好き。奏が割としょーもないこと唐突に書き込んでまふゆが真顔で少し考えて「なんの話?」って返した、その返事がすぐだったり、「ミクを見た!」ってえななんがわーわー言って会話が進んでいくとことか。
ビビバスのメイコがメレンゲに大量投入された小麦粉(?)で途方に暮れたり、天馬兄妹の家の中での何気ないやりとりに付随する動きとか印象に残ってる。

それと、黒い波に呑まれる時の各セカイの反応が、「うんうん、ここのみんなはこう動くよね」って感じでよかった。
立て籠もってみたり、空飛ぶ機関車で逃げようとしたり。
きっとニーゴセカイの面々はそのまま棒立ちで受け入れるんだろうなぁ……と思ってたらほんとにその通りで、解釈一致~って心の中できゃいきゃいしてたのは内緒だ。

……というかこの映画、司がいなかったらもっと重かったんじゃなかろうか
ゲームでもそうだけど、この天馬司という男はあまりにも便利すぎる。
随所随所でクスリとさせてくれる彼がいなければ、全体的に沈みすぎていて最後に浮き上がりきれなかったかもしれない。さすがエンターテイナー。

 

お前が表現することには価値がある、を、突きつけられた

さて、なんでボクはこの映画の感想をわざわざ書こうと思ったんだろうか。
それは、ちゃんとアウトプットをしていきたいという今年の目標もあるからなんだけど、きっと、この映画に「言い訳しないでやれ」と言われてしまったからだ。
この記事に関して言うなら、ボクが感想を書かなくても他の誰かが書いてるでしょ、的な言い訳。

映画の終盤、プロセカメンバーが各グループで歌えないミクの想いを形にする。
そして、想いの原型(壊れたセカイのミクが覚えていた歌=想い)が同じでも、そこから生み出されるモノは全く違う。
だから、想いの原型を形にする人(達)が、その〝原型〟に込めた願いや想いがあって初めて共鳴する〝誰か〟に届く。そんなストーリー。

うんうん。そうだね。キレイゴトの当たり前。いやはや全くもってその通り。
でもね、原型が同じなら、その振れ幅なんて知れている。――そんな風に、スレたおっさんであるボクなんかは思う。いや、思いながら見ていた。

ざけんな、と、殴られた気がした。

ニーゴが、レオニが、モモジャンが、ワンダショが、ビビバスが。
それぞれの形でそれぞれの想いを乗せたそれは、確かに原型は同じなのかもしれないけれど全く別物で、きっと、それを届けたい〝誰か〟も違う。
けど、だから〝そのどれか〟が刺さる。

ニーゴ以外のそれは平然と見ていられたのに、ニーゴのそれだけはぐっさり来たボクのように。

いやー、まいった。
こんなテーマみんなやってるし、ボクがやらなくてもいいでしょ? なんていうひねた考えなんて捨てちまえ、と言われたような気もした。
お前にはお前にしかできないことがある、なんて、これほど虚栄と嘘まみれの言葉もあるまいと思っていたけれど。
そこに対する回答を、この上なく明確に、全否定して力尽くで「ほら、違うだろ?」と突きつけられてしまった。

どれも刺さらなかった、か、複数刺さった、ならまだ逃げ道があったのに。

多分あれは映画として、五つの方向性が全く被らないように作ってる
だから諦めるなと。表現することから逃げるなと。

ひねくれすぎかな。どうなんだろう。
もっとシンプルに、前を向け、というメッセージなのかもしれない。
けどいいんだ。
この映画が、なんだか妙にボクに刺さったのはきっとここがあったからなんだから。

 

これはきっと、令和の大人帝国

もう一個だけ触れておきたい。
ボクがこの映画から何を受け取ったのかというと上で述べたモノなんだけど、それはそれとして映画としてどうだったのよ? の話。
これに関しては、ターゲット層をきっちり捉えてそこ向きに全力投球したエンタメ映画で、普通に面白かったよ、となる。

なんせ、言ってることは単純明快。諦めんな。頑張れ。
そしてミクは可愛いし、必死に頑張って頑張って頑張ったけど拒絶されて絶望顔するシーンはこう、ね、素晴らしいよね(精一杯の健全向け表現

と、まあテーマ自体はボクみたいなおっさん世代は何度も見たもので、それを、ティーンネイジャーらしいまっすぐさと、ひたむきさと、がむしゃらさと、前向きさで乗り越え、想いを誰かに届ける・・・
その輝きと力強さはボクなんかはとっくの昔に失ってしまったモノでうらやましくもあるんだけど、かわりに、挫折を、悔しさを、やるせなさを、もどかしさを、息苦しさを――数多の〝届かない〟を知っている。

だから、届く。
その歌は、客席にいる「名も無き挫折者」に。

お前ら大人ももっと頑張れよ、と。
ふてくされてないであがけよ、と。
その熱さを、お前らも昔持っていただろう? と。

ボクがこの映画を見終わった後に思ったのは「ああ、これは大人帝国なんだな」だった。
それはつまり、年を重ねて、経験値が増えてからもう一度見ると違う視点で見れる、ということ。
残念ながらボクはもうこの映画を「若い時に見た」経験はできないけれど、きっと、これから大人になっていく小中高生にとってはそういう映画なんだと思う。

その時に、あの映画の「名も無き挫折者」となったキミが何を思うかは分からないけれど。

コメント