たまには創作論でも語ろうか。
快楽負けとかいうワードがなんかいきなり出てきた
さて、なんでこの記事を書こうかと思ったかというと、ついったで〝快楽負け〟なるワードがTLに現れたからである。
だったらついったで何か書けばいいのに……と思うかもしれないけれど、ボクはついったで創作論はしないと決めているのでこっちに書こうと思った次第だ。
前置きが長くなったが、では快楽負けとは何か? というコトである。
ざーっくり辿った限りだと、ここがスタートっぽい↓
抵抗の意思とかはすっかり喪失しちゃってるけど快楽には拒否感や恐怖を感じてる状態ってなんて呼称すればいいの?
「もうイクのやだぁあああ!!」みたいな状態って【快楽堕ち】ではないよね。
個人的には【快楽敗け】って呼んでるけど皆がなんて呼んでるのか知りたい— 鍵穴 (@keyhole1988) August 6, 2021
その後はこれに色んな人が反応してボクのTLに流れてきたような「快楽負けこそ至高!」みたいな意見が出てきたようだ。
(そういう意見だったのは単にTLを構成している人たちの性癖由来であるが(笑))
なるほどなぁ。
これを見てぱっと思いついたのは浅貝もっちぬ先生の【玩具少女 無限絶頂に哭く】辺り↓
だけど、確かにこれは、作中描写からオチまで含めて「快楽堕ち」と称するのは無理がある。
実際作品紹介でも快楽堕ちとは表現されてないしね。
だから検索しやすくするために〝快楽負け〟っていう表現を広めたいというのはなるほどよく分かるお話で、なんならボクだって、ちゃんとした百合を見たいから〝純粋百合〟っていう表現を使ってほしいとかそういうささやかな願いがあったりする。
だからそういう表現を使いたいというのはよく分かるし異論を挟む気もないけれど、それはそれとして〝快楽負け〟と〝快楽堕ち〟はそもそも一つのライン上に乗ってるんじゃあないの? という個人的解釈をまとめておきたいなと思った次第だ。
快楽堕ちなんて現象はそもそもない
というわけで本題に入るんだけど、これに関して考えていく上で大事なのは「快楽堕ちというのは本当に存在するのか?」だと思っている。
語弊の無いように最初に言っておくけれど、快楽堕ちというジャンルは存在するし、ボク自身もそれは大好きなんだけど、それはそれとして〝快楽に堕ちる〟という〝現象〟は果たして存在するのか? という思考実験だ。
これ、実のところ堕ちモノ好きとしてはずっと抱え続けている命題で、今の所のボクの結論としては「大概の〝快楽堕ち〟の本質は洗脳、ないしは契約」という形になる。
なぜか? 理由は単純で、快楽で堕ちるなんてコトないからである。
気持ちいい、なんてのはあくまで一時の感情、もっと難しく言うならオキシトシンとかいう神経ホルモンの働きによるもので、そいつの分泌が終われば元通り。
だから仮に「なりますッ♡ ○○様のメスになりますっ♡」と言ったとして、色々終わった後、その時に発した言葉を反故にするコトに対して罪悪感を抱くことはあってもそれで律儀に忠誠を誓う必要なんてない。
いやあるかもしれんだろ! と思うのは自由だけれど、現実問題としてそんな「心をねじ曲げる」という行為がぽこじゃか成立するんだったらNTRなんて当然のようにどこにでも存在していて話題にすらならないだろう。
「あいつまたご主人様変えたらしいよ」
「またぁ? ガチのザコマンじゃんw」
みたいな会話が平然と行われる世界線ならまだマシで、自分の手を汚さずに堕とした女を使って殺人とかやらかすヤツなんてのがうじゃうじゃ出ているはずである。
つまり快楽堕ちなんてのが成立するためにはマジカルチンポなり魔法なりで心に干渉して〝洗脳〟するか、淫紋を刻み込むなりして宣誓を〝隷属契約〟として縛り付けるか、みたいな手段に必然的になる。
……んだけど。
最初にボクは「大概の〝快楽堕ち〟」という表現をした。
つまりそうではない場合というのがあって、代表的な例で言えば現実的なNTR不倫セックスとかであるし、別にファンタジーモノでも探せばそういう類いのモノは見つかるし、あるいは現実的な手法での洗脳(実際に酒池肉林を実施する宗教とかあったらしいし……)なんかでもいいかもしれない。
で、例えば現実的なNTR不倫セックスで女の子が元の場所から離れる場合、それは本質的には快楽に堕ちたのではなく間男の優しさに心を動かされるなり、夫の煮え切らない態度に対する不満が反転して間男に向くなりという形になる。
快楽はあくまでスパイスで、表現上〝快楽堕ち〟に振っているのは間違いないしジャンル的にも快楽堕ちなんだけど、本質を突き詰めていけばほぼほぼ確実に心の動きに焦点が当たっている。
で、この〝心の動きに焦点が当たっている〟というのがミソだ。
洗脳とか契約による〝快楽堕ち〟ではない手法で〝快楽堕ち〟を表現したければ、必ず心の動きが必要になる。コイツをしっかり覚えておいてほしい。
快楽負けはあり得る
長々と快楽堕ちについて語ってきたけど、じゃあ快楽負けは? というと、実はこれはあり得るのである。
まあ現実の女性が一方的に感じまくるというのがレイプで成立するか、というのは置いておくとして、スイッチの入った女の身体というのはどうも歯止めというのが効かないらしい。
三次元で恐縮だけど例えば【サイバーアクメ(鎖威罵亜苦雌) Kranke03】の最後の方なんかは多分、快楽負け派の人に刺さるんではないだろうか。三次元だけど。
(昔DMMで普通に見れたんだけど、今は取り扱いしてないっぽい……? くっそエロいのに残念)
で、しかも快楽負けの場合、最終的には心の方が何らかの形で動いて人格そのものが歪む……というのは自然の流れなのだ。
それは諦観かもしれないし、恐怖かもしれないし、崇拝かもしれないし、受容かもしれないし。
最終的な出力が何になるかは分からないけれど、人格の変容――〝堕ちる〟と表現される事象は確かに発生しうる。
なぜなら強烈な快楽責めというのは拷問と同義だから。
どっかの記事だか本で読んだけど、イク寸前の表情と何が一番似ているか? という問いに対しての答えは、苦痛を受けている時の表情、らしい。
――なんて知識云々の前に、もしも快楽に何らかの苦痛が伴わないのであれば連続絶頂において「もうやめて!」なんて台詞は飛び出さない。
実際ボクら男だって、射精のあの感覚が数分続けさせられます、なんてされたらどっかで「もうやめてくれ!」って言うだろう。少なくともボクはそう言うって断言できる。
ともあれ、じゃあ拷問はなんのためにするの? と言えば心を折るためである。
その結果何が出力されるのかはともかくとして、拷問という行為――もっと広義に言えばストレス――を受けた結果心に対して影響が現れるというのは、それは普通なコトなのだ。
だから、延々と快感を受け続けた結果それに対して心が何らかの変容を見せるコトはありうる。
コイツもまたミソだ。
快楽負けは手法、快楽堕ちは結果
と、言うわけで、そろそろまとめに入ろう。
●〝快楽堕ち〟という現象は大概の場合で洗脳か契約を本質にしているが、それとは別に、快楽をスパイスとしつつ心が動いて〝堕ちる〟が本質のパターンもある。
●〝快楽負け〟は、強烈な快楽責めが拷問と同義であると考えれば十分にあり得る。
⇒強烈な快楽責め(=拷問)によって心が変容(=快楽負け)し、堕ちる(=快楽堕ち)という一本の線で繋がるので、快楽負けは手法であって快楽堕ちは結果であるという関係性が成り立つ。
⇒なお、〝堕ちる〟まで行かずともエロとしては成立する。というかむしろ〝堕ちないでほしい〟という層も一定数存在する。
……というのがボク的な解釈であり結論だ。
なのでこの二つは並列に並ぶものではない。
だから、こういう作品を探す時にはそういうエロ哲学を持っている作者さんをフォローするという形がベストになるだろうし、だからこそ苦労するというのもよく分かる。
ボク自身は〝快楽堕ち〟のレイヤー――と言うとなんか上にいるみたいな表現でイヤだけど、要は性癖に対する深掘りが小さい器用貧乏タイプなので褒められたモノではない――にいるのでその辺の手法にこだわりはないというか、マジカルチンポなんかも大好きだし心折るタイプも大好きなんだけど、もっと深い部分でこだわりがある人たちは当たる作品を探し続けているんだろう。
その労力は素直に尊敬する。
なにせボクもちゃんとした百合を探すために苦労しているので、一緒にすんな! と怒られるかもしれないけれど、少しはその大変さを理解しているつもりだ。
それじゃあ今回はこの辺にしておこう。
皆様よいオナニーライフを……!
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