悪堕ちの〝エロ絵〟は意外に描きにくい

悪堕ちにも派閥があるので一概に言うと怒られてしまうが、それを承知の上で言えば「悪堕ちすると衣装がエロくなる」というのが一般的である。
なぜエロい格好をするのか? については昔考えたことがあるんだけど、ともかく、エロい格好をするのである。

……が、悪堕ちした後にヤってるイラスト=エロ絵となると、実は意外と描きにくい。
今日はそんなお話。

悪堕ちがエロいのはつまるところ〝過程の妄想〟なんだよね

そもそも、版権モノにしろオリジナルにしろ、〝悪堕ち〟と言うからには元々の姿とか思想とかがあって、それがねじ曲げられて歪んでしまっている。
では悪堕ち絵に求められているエロスというか、悪堕ち絵で感じるあのエロさというのは何かというと、詰まるところその〝ねじ曲げられた姿〟そのものであり、そこから連想される〝過程〟なのである。

あんな清楚で真っ直ぐな子があんな卑猥な格好で猥雑な言葉を発するなんて……何があったんだろう? 何をされたんだろう?
あんなにおまんこ濡らして敵にすり寄って……なんであんなに嬉しそうなんだろう?

そういう、言わば〝過程の妄想〟こそが悪堕ちが持つエロスの醍醐味だ。
悪堕ち後の衣装やポーズ、表情が大事なのはココが肝だからで、なるべく元々のデザインや意匠を〝エロく〟〝禍々しく〟〝冒涜的に〟改変するのが悪堕ちイラスト描きの腕の見せ所になってくる。
なぜなら、ちりばめられた断片的な情報によって〝過程の妄想〟は促進され、悪堕ち好きのボクらはそれを〝エロい〟と認識するから。
実際、今ぱっと思いつく悪堕ちの巨匠をイメージしてもらった時、この辺のこだわりや表現がとにかく素晴らしいというのは誰でも同意してくれるんじゃなかろうか。

そしてこれは逆に言えば、悪堕ちしたイラストは〝過程の妄想〟を引き起こすその姿や言動がエロいのであって、そこで完成してしまっているという意味でもある。
ゆえに悪堕ちヒロインのえっちシーンイラストは意外に描きにくい。
堕ちたヒロインのセックスシーンというのは〝過程の妄想〟の次の工程、つまりは未来の話になってしまう。
悪堕ち本来が持つエロさの次のステップに足を踏み入れてしまっているのだ。

悪堕ちであるコトに説明がいる

これはつまりどういうコトかというと、エロい格好をしている(=悪堕ち絵)ではなく、セックスしてる(=いわゆるエロ絵)になった時、それが悪堕ちである必要性というものを考えなければならないというコトである。
なぜかと言えば、悪堕ち絵を描いた時点で〝過程の妄想〟という要求はクリアしているから。
だから「その格好でなんでセックスしてるの?」にアンサーを準備しないと、「別にセックスしてる必要はないよね?」となってしまってせっかく描いたエロ絵の訴求ポイントがあやふやになってしまう。

もちろん「んなもん描きたいからやろがい!」と言われればそれはもちろんその通りだし、例えば好きなキャラクターにバニー服とかメイド服とか着せてスケベシーンを妄想するのもまた楽しみ方の一つではあるけれど、それらに比べたって悪堕ち衣装というのは弱いのだ。
なぜかというと、本編上で堕ち衣装を披露しないヒロインの〝堕ち衣装〟は完全に二次創作で、つまりその〝堕ち衣装〟を着た状態でのえっちなイラストっていうのは三次創作になってしまう。
それが悪いとは言わないけれど、現実に存在する衣装を着せるのと、オリジナルデザインの衣装を着せるのでは窓口が狭くなるというのは想像に難くない。

ともあれ、悪堕ちの〝エロ絵〟の場合、悪堕ちイラストが持つ本来のエロさ+αの理由が必要になる。
具体的に言うと、設定的なバックアップなりストーリー的なサポートなりだ。

例えば、+αとして一番簡単なのはストーリーのIFとしてしまうこと。
敵に連れ去られて洗脳悪堕ちしたヒロインと対峙して正気を取り戻させた……みたいなストーリーのある話なら、その間のイメージイラストとして〝悪堕ち姿でのセックス〟に意味が出てくる。
あるいは、堕ち状態(洗脳状態)を維持する為に定期的なセックス、洗脳のかけ直し、マシン接続(機械姦)が必要という設定を付与する……とか。

この辺、オリジナルの悪堕ちヒロインだとなおさら動かしやすい。
なにせオリジナルの場合はそもそもそういうお話なので、堕ち後のセックスをしていても物語のエッセンスとして立派に成立する。

これはボクの所感ではあるけれど、一次創作の悪堕ちヒロインがバンバンと堕ち後セックスを披露しているのに対して、二次創作で悪堕ちヒロインの堕ち後セックスはあんまり見かけないのは偶然ではないだろう。
悪堕ちスキーにとって、堕ち後のセックスというのはただそれだけでは意味を持ってこないのだ。

悪堕ちイラストを描くなら全身絵という前提に立つ

そんなわけで、今のところのボクの結論としては、悪堕ちイラストを描く時には全身絵(立ち絵)という前提に立ってプランを立てるというコト。
普通、イラストというのは見せたい部分を強調するようにポーズとかシチュを考えるわけだけど、悪堕ち絵に関して言うならその常識はいったん脇に置いておいていいという心持ちでいればぐっと視野が広がる。

理由は散々述べたように、悪堕ちというのは〝過程の妄想〟をエロスの源泉としているから。
その姿そのもの(から想像されるあれやこれやのエッチなコト)がエロいので、変にポーズをつけたり、ましてセックスシーンなんて描いても魅力を半減させるだけになる。

ただこれはなかなか心情的には難しい。
難しいというか「本当にそれでいいの? ある程度構図練った方がいいんじゃない?」という囁きが頭の中でぐるぐると回る。
けれどそれでいい。
ボクもそういう声に従って色々構図をいじってみたコトはあるけれど、最終的には全身絵や立ち絵に戻ってきてしっくりくる。

なにせ「なぜセオリーとは逆に、ほぼ全身が描かれている姿の方がエロいんだろう?」っていうのはずっと不思議で、その理由を突き詰めてみたのが今回のテーマだ。
色々考えて上に述べた理由に辿り着き、悪堕ち絵の本質に最も訴求してくれるのが全身絵や立ち絵なんだという結論に達した。

だからそれででいい。
悪堕ち絵を描く時にはほぼ全身写るのがエロいのだ。
自信を持ってそういう〝セオリー外〟のイラストを描いていこう。

 

 

別に言うまでもないコトだけど、これはあくまでも現時点のボクの結論であってこれから変わっていく可能性のあるものである。
ではでは今回はこの辺で。
皆様よいオナニーライフを……!

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