RTとの付き合い方

別に言うまでもないコトではあるのだけれど、ついったにはRT、つまりはリツイートという機能がある。
このRTというシステム、うまく使えば強力な武器になる一方で、使い方を誤ると失速の原因にもなるという諸刃の剣だというのは、まあ、ついったを使っている人間だったら多かれ少なかれ知っているだろう。

かく言うボクもRTをするかしないかというコトに関して結構悩んだクチで、最近それに対するスタンスが確立してきたからそれについてつらつらと記そうと思う。

RT戦略とかいうよく分からない代物

話を進める前に言っておくと、これから述べるのは「どうやってRTされるか」という話ではなく「何をRTしてゆくのか」の話である。
なんでそんなコトを考えなければいけないのかと言えば、要するにRTは多すぎてはいけないとされているからだ。

なぜ多すぎるといけないのか? なんてコトは改めて述べるまでもないだろう。
RTは他人の呟きを広めるための機能なので、RTされたツイートは当然フォロワーのTL上に乗る。
これの頻度が多いといわゆる〝RT爆撃〟とか〝TL汚染〟という状況を誘発し、RTミュートだと全然マシで、その知識がない人の場合にはフォロー解除を引き起こす。

というか、そもそもRTばっかりのアカウントはフォローもされにくい。
正確にデータを取った研究みたいのは知らないので〝一般的にそう言われている〟という話しかできないけれど、自分自身に照らし合わせてみてもRTしかしないアカウントはまずフォローしたいと思わない。
綺麗なイラスト描く人だったら……と思っていた時期もあるけど、その場合はPixivでフォローすればいいのでわざわざついったでフォローする必要もない。

というわけで、一般的にRTが多すぎるのはよくないと言われている。
ただそこで疑問になるのは「じゃあ適切なRT量ってのはなんだ?」というコトだ。

RTは少なすぎてもよろしくない

適切なRT量とは何か?
この問題にボクはかなり長い時間頭を悩ませた。
RTは多すぎてはいけないし、TLを汚染するモノでもあるから、自分が本当にいいと思ってオススメするモノだけをRTしよう、という縛りをかけてついった運営を行っていた時期もある。

ただ結論的に言えばその戦略は失敗だった。
なぜ失敗だったのかというと以下の二点だ。

1. RTは繋がりの起点になるので、RTを極端に減らすのは機会損失でしかない。
2. 自分のTLに何の魅力もなくなる。

1については自分の投稿がRTされた時の気持ちを考えてみればいい。
数万フォロワーくらいになって数千RTが普通になってくると気にもしなくなるのかもしれないけれど、ボクなんかはRTしてくれる人なんて片手で数えられる程度なので、初めてRTしてくれた人のプロフを覗きに行くコトはままある。
いいねやフォローも同様だ。

そして多分、大抵の人は同じような感覚を持っているんじゃないだろうか。
どんな人がRTしてくれたんだろう……? と覗きに行って、すごく興味深いツイートをしていたり、綺麗なイラストを描いていたりでフォローする……なんて経験、誰しも一度はあるだろう。

あとそれに加えて、自分から積極的にフォローしてRTとかいいねをしているとたまに反応を返してくれる時もある。
RT(といいね)を出し渋るのはこういった諸々の効果を得られないということなので、大きな機会損失なのだ。
(フォローは出し渋ってもいいというか、きちんと相手を見極めないと事故るからある程度は慎重になった方がいいとボクは考えている)

次に二番目の「自分のTLに何の魅力もなくなる」だけど、これに気付いた時、ボクはRTの考え方についての長いトンネルを抜け出せた。

RTは〝Re〟〝Tweet〟だという考え方

きっかけはとある絵師さんのアカウントを覗いた時だ。
文字とイラストのバランスがすごくよくて「綺麗なTLだなぁ……」って思った。
そこでもう少ししっかり見てみて、そのTLにあるイラストは自分のモノだけではなくて、RTという形で広めている他者のツイートも混じっているコトに気がついた。

つまりこの方は、RTをした上で適度につぶやき、自らもイラストを発表しながら高度なバランス感覚で一つの空間を作り上げていたのだ。

まさしく、TLを〝作る〟という視点。
見れば見るほど一つのコンセプトに沿ってRTがされているのがよく分かって、それは慎重にFF関係を形成した結果なのかもしれないけれど、とにかく統一感が素晴らしかった。
モデルルームとかを見た時に胸を打つような、あの〝一つのコンセプトに沿ってお部屋を作りました〟感だ。

ボクはそれに衝撃を受けた。
〝Twitterを使う〟というのはこういうコトか、と。
〝アカウントそのものを魅力的に見せる〟というのはなるほどこうするのか、と。
目からウロコが落ちる勢いで今までの疑問みたいなものがパラパラと崩れていった。

そして――自分のTLを見て絶望した。

なんともまあびっくりするほどつまらないアカウントだ。
ちょこちょこ自分の呟きがあってごくたまにRTがされていて。
ひたすらに文字、文字、文字。
何も知らずにこのアカウントを見れば「どんだけ自己表現がしたいんだ? コイツは」と思われても仕方がないほどに自分の呟きしかない。
RTを控えると自分のTLに何の魅力もなくなると言ったのはこれが理由だ。

で、そこで理解したのが『RTとは〝Re〟〝Tweet〟』だというコトである。

何を当たり前のコトを……と思うかもしれないけれど、もう一度言う。
『RTとは〝Re〟〝Tweet〟』……〝Tweet〟なのだ。
だから他人のつぶやいた内容であろうが自分のTLに乗るし、自分のTLを形作るモノとして利用ができる。

これが〝適切なRT量とは何か?〟に対する答えだ。

RTを使って自分のTLを作り上げる

長々書いてきたのでそろそろ結論を書こう。
ボクがRTをする基準は〝そのツイートで自分のTLを飾りたいか〟に落ち着いた。
無論これは現時点での考え方なので将来的に変わる可能性はあるけれども、今のトコロこの考え方はしっくり来ているし、その運用で困ったコトも無い。

考えてみればTLというのはプロフィール欄のようなものなのである。
一貫性を持っている人のTLはやっぱり似たような傾向のイラストがRTされているし、ボクみたいな雑食ではほぼ一貫性はなく、けれど当人からすれば〝刺さる〟イラストなりエロシチュなりがRTされている。
そういう意味ではある一つのジャンルに特化している人たちはやっぱり強いな……と思うけれど、これに関しては考えても仕方がない。

ともあれ〝そのツイートで自分のTLを飾りたいか〟という判断基準を持っていれば、RTが多すぎるとか少なすぎるとかいうコトに頭を悩ませる必要もなくなる。
自分が見て多すぎると思うなら減らせばいいし、少ないなと思うなら増やせばいい。

他人から見た時どう見えるかを指標に入れたっていいが、ベースとなっているのはあくまでも自分のTLをどうしたいかだ。
類は友を呼ぶとはよく言ったモノで、なんだかんだTLの傾向から相性のよさそうな人というのは見抜けてしまう。
だったら余計なコトを考えるより自分の見たいTLを作っていく方が精神衛生上いい。

RTとは〝Re〟〝Tweet〟。
他人のつぶやきではあるけれど、TL上でもシステム上でも〝自分自身のつぶやき〟であるという感覚をボクは大切にしてゆきたい。

 

ではでは、今回はこんなところで。
皆様よいオナニーライフを……!

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