月曜日に意味があるのはレールに乗っているから

月曜日というものにあまりいい思い出はない。
というかボクに限らず、週の初めという宿命を持ったこの月曜日というヤツは、一週間の中でもトップクラスに嫌われている曜日であろう。
だから、その〝月曜日〟を迎えたにも関わらず何もないというのが、なんというか、背筋がむずがゆいような、そんな違和感をもたらしてくるのだ。

何にも属さなければ月曜日に意味などない

そもそもなぜ月曜日が億劫なのか? と問われれば、そんなのはもちろん「学校があるから」「仕事があるから」という返事が返ってくるだろう。
ボクだってずっとそうだった。

ただ、仮に仕事をしていたとしても元々休みだったお盆の週が終わり、もしも辞めていなかったら憂鬱な気分のまま朝起きて死んだ顔で電車に乗っていただろう日を超えて、心に残ったのはなんとも言えない違和感のようなモノである。

なんとも不思議な感覚だ。
今までだって、例えば大学の長期休みのように二ヶ月とかまとまった時間が手に入ったコトはあったが、それでも月曜日というのは何か特殊な雰囲気を醸し出していた。
週初めというのはそれだけ意味を持っていた。
バイトに明け暮れていようと、ゲームに夢中になっていようと、〝休みが終わる日〟というのは常に頭にあって、それまでにあと何週――月曜日が何回来るかで測っていたという面もある。

けれどそれがなくなった。
もちろん、今現在色々とやらなければいけない事はあって、そのためにあーでもないこーでもないと考えては行動に移している最中だけども、かといって期限があるわけでもない。
曜日感覚が狂っているのか? と問われれば今のところそういうわけでもない。
ゴミ捨ての日にちが決まっている以上、今が何曜日かを意識しないで過ごすというのは無理がある。

ではなんで、こんなにも〝何もない〟んだろうか。

ちょっと考えて、その理由は〝今現在何にも属していないからではないか〟というコトに気がついた。

人生で初めて〝無所属〟をやっている

最初に言っておくが、ボクは別に一休さん的な問いをしている訳ではないので「日本という国に属しとるやんけ!」というような野暮なツッコミはスルーする所存である。
ここで言っている〝無所属〟というのは社会の枠組みというか、〝組織に属していない〟という意味だ。

考えてみれば、ボクらは物心つく時から何らかの組織に属している。
保育園or幼稚園に始まり、真面目に自我が形成されてゆくタイミングでは小学校に中学校、そして多くの場合は高校と進む。
その先はバラバラになるけれど、ボクの場合は大学に大学院、そして就職。
その他のケース、例えば専門大に進もうが短大に進もうが、あるいは進学はしなかろうが、最終的には就職するというのが大まかな日本の流れだ。

中には独立するとか、他の人が考えもしないような生き方をする人たちもいるけれど、少なくともボクの場合はこの年になるまでずっとレールの上で、常に何らかの組織に属しながら生きてきた。
だからいつだって、その組織に属するが故のルールに、気付く・気付かない関係なく縛られてきた。

その一つが一週間の流れだ。
日曜日は休みとして、土曜日は出たり(大学院)出なかったり。
そして、月曜から金曜は常にその〝組織〟に身体を置いて何らかの義務なりなんなりをこなす。

ずっとそういう生活をしてきた。
まあ、だから月曜日というのは特別だったのだ。
一週間の始まりにして地獄の蓋を開ける鐘。
毎日が休みみたいなモノだった大学生の時を除けば、小学校の時から平日というのは何も楽しくない。

けれど今、〝平日〟という概念は消失している。
今あるのは手持ちのお金でどれだけの期間生きれるかという問題だけで、それをどうにか増やしながら日々をどうやって生きていこうか? という課題だけだ。
月曜も金曜も日曜も関係ない。
強いて言うなら道とか店の混み具合の問題であって、家の中で作業している分には本当に関係ない。

不思議だ。
そして、油断もできないな、と感じている。
少しでも気を抜けば時間感覚が狂ってしまって、何もできないまま野垂れ死ぬという未来が待っているというのが実感としてある。

無所属でも〝ルール〟は必要

すでに三十年以上昔の、ファミコン全盛期の時代。
技術者達は容量の少ない中でどのように面白いモノを作るのかというコトに全力で情熱を注いでいた。
あるいは技術革新もそうだ。
いつだって人間は制約の中で打開点を見つけて限界を超えてきた。

制約のない状況では人は堕落する。

そんなような話を心理学系の本で読んだ気もするが、今、無所属となって〝ルール〟から解放された中でそのコトをひしひしと感じている。
もちろん、別にどこかに属している訳ではないんだからルールは自分で決めればいい。
自分で自分に課す制限。一見すれば馬鹿げているようにも見える。

けれどそれがないとダメなのだ。
それがないと永遠にだらけてしまって、完成するモノも完成しなくなる。
何も前に進められなくなる。
クリエイティブな活動に専念するために仕事を辞めたのに、それができなくなる。
本末転倒どころかただの地獄がそこにある。

それは絶対に回避しなければならない。
だから、今ボクは自分自身にある程度の制約をかけようとしている。
それはもちろん創作活動を全力で前に進める為のもので、どのように一日を使うのが効率的なのか毎日実験しては修正し、時には「○○時までは活動する」とか「毎日これだけは行う」とかを加えては消してで自分なりの〝ルール〟を制定しようといそしんでいる。

そんなにすぐにできるとは思っていない。
けれど、これをしなければ絶対に堕落するという自信がある。

大きなリスクを背負って手に入れた時間だ。
今が最後のチャンスであるという判断をしての大きな挑戦だ。

組織が押しつけてくるルールは嫌いだったけど、自分が限界を超える為に自分で制定するルールならば守ってみせる。
そんな気概で頑張っていきたい。

 

それでは今回はこの辺で。
皆様よいオナニーライフを……!

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エッセイ的ひとり言備忘録
えろんのかんづめ

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