〝選択=捨てる〟という行為は怖いから、きっと楽しむしかないんだ

選択する、という言葉はなんとなくポジティブに聞こえる。
何かをしたいと思って何らかの行動をするわけだからそれはまあ当然の話ではあるのだけど、実際には、選択の本質というのは捨てるというコトだ。
だからこそ、〝物が捨てられない〟という自分の性格は、そのまま〝優柔不断〟という欠点に繋がってしまっているんだと思う。
今日はそんなことをつらつらと触れていこう。

Aの道を選ぶのか、Bの道を捨てるのか

これほどまでに端的に物事の二面性を表す言葉もないのかもしれない。
Aを選ぶと考えても、Bを捨てると考えても結果は同じだ。
自分の中にはAを選択したという結果が残り、あとはそれに沿って道が続いてゆく。
これは単に〝選択〟という行為を表と裏から見たというだけで、どちらも同じコトを表しているんだから当然だ。

であれば、ボクらははたして〝選択〟をどのように捉えればいいんだろうか。

何も考えずにぱっと選べば、なんとなく〝Aを選ぶ〟と考える方が収まりがいい。
なんと言ってもポジティブな響きがある。
「色々迷ってこの道を選んだんです」とか言われたら、積極的に人生を選んできたんだなぁ……という感想を抱くというのは、多分ボクだけではないはずだ。

けれど果たして、選択というのは本当にそんなにポジティブなものなんだろうか。
というより、真剣に物事を考えて選ばなきゃいけない時に、本当にボクらはポジティブな理由で〝選ぶ〟んだろうか。

選択肢を考えれば考えるだけ消去法になる

ボクは学者ではないからこの問に関する答えは知らない。
けれど、考えるための判断材料をできる限りバイアスなく満遍なく集め、そうして決断を下す時は消去法で選択肢を潰してゆくというのが理に適っている気はしている。

つまり、ポジティブな理由を積み上げて「だからこれだ」ではなく、ポジティブネガティブ関係なく情報を集め、そこから選択肢を捨てて最終的に残った物を選ぶ。

具体的な名称は忘れてしまったけれど、人間は自分に都合のいい情報を優先して集めてしまうというバイアスが存在するらしい。
だから、何かを選択する時に「それを選ぶ理由を与えてくれるもの」を根拠に選ぶよりは沢山の情報を集めるだけ集めて、そこから消去法的に捨てる選択肢を消していく方がまだ後悔する選択をしなくて済むというのはあながち的外れでもないと思うのだ。

さてそうすると、選択の本質というか、大事な部分は何を選ぶかではなく何を捨てるかというコトに落ち着く。
――何を捨てるか。
これは本当に、ボクにとっての大きな課題だ。

捨てられないという悪癖

これだけ生きてきたので、自覚できている〝自分の悪いところ〟はいくつかある。
そのうちの一つが〝物を捨てられない〟というコト。
いつか使うんじゃないか? まだ捨てるのはもったいないよな……?
という思いがあって物を捨てられない。

まあ、これでも昔に比べて大分ハキハキと物を捨てるようになったんだけど、それでもまだやっぱり捨てるのには勇気がいる。
本当にこれを捨ててもう読まない? 二度と? 本当に?
という問答を繰り返してどうにか捨てて、大体はそのまま捨ててよかったとなるけれど、たまに捨てなければよかったと後悔することもある。

こんな時、本なら改めて買えばいい。
大体の物はそれでなんとかなる。
けれど、例えばそれが思い出の詰まったアルバムなら?
もう二度と手に入らない限定品なら?
こういった物を捨てるのには本当に本当に勇気がいるし、ぶっちゃけ、そういった類の物が捨てられず未だに押入れの中に眠ってしまっている。

つまりボクは、取り返しがつかない時の〝捨てる〟という行為が未だにできない。

そしてこれは翻って、ものすごく大きな物――例えば己の人生――がかかった時に選択ができないというコトでもある。
これは本当に困った。
もともと優柔不断ではあったけど、ここに来て、本当に困ってしまった。

捨てるコトが怖いから選択ができない。
散々考えて、消去法的にもうこれしか無いと分かっていても決断ができない。

そうやってぐるぐるまた考えるけど、結論は何回やっても一緒。
というか消去法で考えているんだから当たり前。
手札が同じ状況でカードを切っているんだから同じ結論にならないとおかしい。

さっさと〝捨てる〟コトを決めればいいというのに。
ぐだぐだと考え続けるだけ無駄だと、頭ではきちんと分かっているのに。
捨てられないボクは限界まで考えてしまう。

それでも〝捨てる〟しかない

人生は選択の連続だ。
いや、選択し、変わり続けるコトこそが人生なんだと最近は思っている。
だから、どれだけ怖くてもボクらは〝捨てる〟コトを選ばなくちゃいけない。
今ある物を手放して、また一生懸命頑張って。
そうして初めて得られるものがきっとある。

捨てるのは怖い。
怖くて怖くてたまらない。

全く難儀なものだ。
けれどこれは、生きている限り常につきまとう恐怖なんだろう。
だったらもういっそ、その恐怖を楽しむくらいがちょうどいいんじゃなかろうか。
怖いと感じているというコトはそれだけ自分にとって大切な物なんだから、じっくり吟味した上で捨てるなら捨ててしまわないと何も持てないんだから。

そんな風に考えれば少しは楽にならないかな? なんて、そう思ったんだ。

エッセイ的ひとり言
えろんのかんづめ

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