鈴原るる卒業。
その話を知ったのは、仕事から帰っていつものように夜中起きるつもりで眠り、けれど途中で起きてしまってなんとなくTwitterを見た時だった。
そして今は7/3。
すでに彼女は卒業し、その寂寥感がじわじわと心を苛むと同時に、前を向いて歩こうという気持ちが湧き起こってくる頃でもある。
だからこそ今、自分にとって〝鈴原るる〟というVtuberがどういう存在だったのか? というのを少し振り返っておきたい。
唯一無二の存在――それが鈴原るる
鈴原るるというVtuberを知ったのがどのタイミングだったのかは正直覚えていない。
何かの切り抜きで見たのが最初だったとは思うのだけど、それが何だったのは曖昧だ。
ただ、SEKROだか魔界村をラグありでやってた……みたいな切り抜きだった気はしている。
ともあれ、そんな成り行きで彼女を知っていくつかの配信を見て――すぐに、この人は確実に伸びるしとんでもない才能の持ち主なんだと感じた。
なにせ怒らない。
どれだけイライラするような状況でも、常人ならとっくに心折れてふて寝しそうな状況でも、彼女は本当に楽しそうにゲームをするのだ。
ゲームが大好きで、みんなとおしゃべりするのが大好きで。
そんな事が見ているこちらにもしっかりと伝わってくるくらい、彼女は本当に楽しそうに、のびのびとゲーム配信を〝楽しんで〟いた。
それが本当に眩しかった。
自分は高難度のゲームに何度も悪態をついた事があるからこそ、彼女のまっすぐさと不屈の精神が尊く感じていたのだ。
多分、彼女を好きだった他の方々も、何らか似たような感想を抱いていたんじゃないだろうか。
昔、委員長だか社だかが「鈴原るるは鈴原るるだ」と言っていた事がある。
これはにじさんじライバーをカテゴリー分けするという話題の中で飛び出したセリフで、それに対しボクは「確かにその通りだ」と納得した。
コメント欄の様子を見ている限りでも、大なり小なりみんなそのように感じていたのだろう。
数多くいるにじさんじライバーの中でも〝鈴原るる〟というカテゴリーとして唯一無二の存在感を放っていた素晴らしい配信者。
それが、ボクの中での鈴原るるのイメージだったし、だからこそ彼女が好きだったし応援もしていた。
リアタイは基本的にしない勢だし、メンバーシップも彼女に限らず入っていない勢ではあるけれど、数少ないチャンネル登録をしている人だったし、線画止まりとはいえイラストを描いてみた人でもある。
いくらVの人のそういうイラストは描かないと決めているとはいえ立場上表立って好きだとは言えなかったけれど、それでもボクなりに興味を持って追っていたのだ。
推しは推せる時に推せ、の意味を知った
だからだろうか。
彼女が引退すると聞いて、とても不思議な気持ちになった。
これはあれだ。
まだ小学校に入る前か入った直後くらいの頃、遠方からはるばる遊びに来た親戚が帰る時に感じ、それ以来、常に距離を取り続ける事でうまい具合にいなし続けてきたあの感情だ。
具体的に言うならば――寂寥感。
どうしようもない寂しさがボクを襲い、あまりに久しぶりすぎる感情にどう対処すればいいのか分からなかった。
別にVの卒業は初めての経験ではない。
ただ、自分がチャンネル登録してまで見てみたいと思っている人の卒業は初めてだった。
ああなるほど。
これが、推しが卒業するという時に感じる感情なのか。
先にも述べたようにボクは誰の配信だろうとリアタイはしないし、メンバーシップに入ることもない。
そういう意味で、子供の頃から続けている、寂寥感に対する防衛ラインをきちんと敷いて対応しているつもりだった。
鈴原るる? まあ、チャンネル登録はしているしよく見ていたから残念だよ。ははは。
って、普通に笑い飛ばせるくらいの距離感を保っているはずだった。
でも実際はそんなことはなかった。
どうやらボクの中で彼女はしっかりと推しの立ち位置にいて、だからこそ、唐突に舞い降りてきた〝卒業〟という現実に完全に致命傷を負わされてしまったのだ。
そうか。なるほど、そうか、と。
これが推しが卒業するという感情か、と。
ボクは正直に言って、今までアイドルの脱退だとか、推しのVの卒業とかでダメージを受けている人の気持ちが分からなかった。
推しは推せる時に推せ、という言葉も、まあそりゃそうだよね。何を今更……くらいに考えていた。
でも分かった。
こんな感情を味わうくらいなら、一瞬一瞬を大切にして、自分の全力で応援してあげるべきなのだ。
それは相手に対するためだけじゃなくて、何よりも自分自身のためにすることなのだ。
別にそれはお金を払ってどうこうということではなくて、自分ができる範囲で「好きだ」「応援してる」という感情を表現する事が大切なのだ。
立場上……とか言って遠慮するより前にまず、るるちゃん好きだ! 応援してる! って、Twitterとかでガンガン呟いておくべきだったんだ。
ハッシュタグとかはつけられないけど、その気持はオープンにしておかなきゃ――いざ別れが訪れた時にとんでもなく辛くなる。
別れというものがいつか訪れるからこそ、その一瞬一瞬を大切にするために〝推しは推せる時に推せ〟をしておかなければならないんだと、最後の最後に、鈴原るるというVtuberに教えてもらえた。
だからボクは――幸せ者だ。
どうしようもなく今を生きてる
鈴原るるという唯一無二にして、ボクの推しでもあった人はもういない。
引退理由は方々で色々言われていて、ボクも正直残念というか、その原因を作った人に対して怒りの感情が無いかといえば嘘にはなる。
でも本人はどこまでも前向きだった。
そして、最後の最後、普段は絶対にしないリアタイをして、最後の、あの十分間の時間を共有できたのはボクにとっての宝物だ。
鈴原本人も、そしてコメ欄も。
たくさんの「ありがとう」で埋まったあの十分間。
リアタイしてよかったと思った。
最後の最後に、この時間を共有できて本当によかったと、そう思った。
いままでありがとう。
これからもたくさんゲームをして、目いっぱいに笑って楽しんで。
精一杯に今を生きてください。
ボクも精一杯今を生きようと思うから。
そんなことを考えながらあの日、配信画面を閉じた。
どうしようもなく今を生きてる。
Virtual to Liveの歌詞のまま、ボクらは〝鈴原るる〟の卒業したこの世界を生きていく。
きっとこれから、ボクはまた推しの卒業・引退に出会うんだろう。
にじさんじならフレン・E・ルスタリオ。
個人勢なら名取さな。
この二人がいなくなる時、ボクはまた相応のダメージを負う事になるんだと思う。
けれどもうそれでもいい。
それでもいいから、全力で、普段エロいことしか呟かなくて申し訳ないけど――応援してます、って、今度はちゃんと声にしていこうと思う。
それが――〝鈴原るる〟という配信者が好きだったボクが学んだ大切な事だから。
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