この有名なKのセリフ、この年になると真理だなって痛感する。
さて、別に改めて言うまでもなくこれは夏目漱石の「こころ」に出てくるセリフだ。
これに初めて出会ったのは高校生の時で、理由は国語の教科書に載っていて授業で取り扱ったから。
まあ、純文学に大して面白みを感じない人間が出会う理由なんてそんなもんだろう(笑
で、この言葉の意味というのは当時全く理解できなかった。
というか今でもしっかりと理解はできていないだろうし、夏目漱石フリークの人たち的には色々考察しているんだろうけど、文学的な解釈というのには正直興味もない。
が、実感としてこれは大切な心構えなんだなというのは分かるようになってきている。
というのも、人間やっぱりある程度のところまで来ると「ここでいいや」と思ってしまう瞬間みたいのがあって。
そうでなくとも、例えば「最近の○○は面白くない!」って言ってそこで静止してしまうなんてことがざらにある。
新しいゲームに手を出すくらいなら勝手知ってる昔やったゲームをやってしまう、なんてのはボクでなくともみんな経験していることだろう。
でもそれじゃあだめだ。
これこそまさしく「精神的に向上心のない状態」。
Kに言わせればまさしく〝馬鹿〟の所業で、居心地のいい今の場所に留まる事を選択して先に進む事を諦めてることに他ならない。
だって、しんどいもの。
新しいものに触れるって。何か違うことに挑戦するって。
それでも飛び出さなきゃいけないくらい追い詰められているならまだしも、そうでない状態であえて変化を選ぶというのは本当にしんどい。
しんどいからついつい停滞を選んでしまう。
Kはそこを見越して「精神的に向上心がないものはばかだ」と言ってるんだろう。
変化し続けろ、と。
常にインプットをし続けろ、と。
それこそが〝精神的な向上心〟である、と。
実際アウトプットとインプットというのは両輪で、〝精神的な向上心〟にかけるならアウトプットというのは身体的・肉体的な向上心だ。
こうしたい! ああしたい! っていう能動的な向上心って言ってもいい。
ところが当然、それだけじゃダメなんね。
ボク自身今は割とアプトプットに偏重してしまっていて、それはそれで価値のあることだから……ってことでついついインプットを疎かにしてしまうというか、そこに時間使うなら……とか思ってしまう。
インプットが大事だと知っていてもつい、なんというか、もったいない、とか思ってしまう。
でも違うんだね。
インプットはアウトプットの対であって、まさしく〝精神的な向上心〟。
こいつがきちんと働いていないと新しいものを取り入れる事ができなくて末端から腐っていく。
停滞してしまって、最終的にはアウトプットにも悪影響を及ぼす。
だからインプットの時間を疎かにするのはつまるところ「精神的に向上心のないものはばか」という事象そのものなんだね。
実際、外に出て色んなものに触れた後っていうのは世界が開けたみたいに色々な部分の見え方が変わる。
今までもインプットというのが大事だというのは理解していたつもりだったけど、また一つ実感が湧いた。
……とりあえず、今日買ってきた漫画を読んで糧にすることにしようか。
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