膨張主義の行き着く先

シューティングゲームが衰退した理由の一つに、際限なく上がってゆく難易度というものがあったのは有名な話だ。
あるいはいっとき、RPGなどでは特に顕著に〝とにかくボリューミーなゲーム〟が流行った。
あのDQですら7の時に「百時間遊べる!」などと大々的に喧伝されていた事がある。

こういうのに対する専門用語を何というのか学の無いボクには分からないが、ともかく膨張主義とでも呼ぶことにしよう。

人は何かがあった時、自然とその次を期待する。
そしてそれにもっとも簡単に応えられるのは、「より〝凄い〟」ということだ。
それが難易度に向くかボリュームに向くかというだけの話で本質的な部分は変わらない。
新技追加! とか、新キャラ追加! とか、そういうやつ。
具体的に数が増えるという事が一番簡単に〝進歩〟を表現できる。

……が、しかし。
それはいつか破綻する。
シューティングがそうして衰退し、RPGはそれを悟って別の方向にきちんと舵を切った。
ゲームで物語を楽しむという事がどういうことか、という部分を見つめ直した結果なんだろうと思う。

どこかの青沼さんのインタビュー記事で見たが、あのゼルダの伝説ですら膨張主義に囚われた事があるそうだ。
具体的に言うとトワイライトプリンセス。
言われてみれば確かにダンジョンは凄まじく肥大化し、フィールドもでかくなって〝限界〟の一歩手前に来ていたように思う。
そこで「ゼルダとは何か」を考えた末に出てきたのがスカイウォードソードであり、あの箱庭世界だったそうだ。

ボクはスカイウォードソードをプレイした時「ようやく時のオカリナの呪縛を振り切ったんだな」と思ったことを鮮烈に覚えている。

肥大化させるのではなく高密度化させる。
2010年台のゲームは多分そういう方向に舵を切っていたんだろうし、そうでないゲームは取り残されていったんだろう。
(余談だけど、今ポケモンはようやくそれをしようとしているみたいだ。冷静に考えて800種のポケモンを新規が覚えられるはずもなく、騙し騙し(アローラの姿、とか)来たけどもう限界で、このままだとどんどんニッチなゲームになってしまう……という危機感があったんだろう。遅きに失したとも思うけれど……)

さて、前置きが長くなった。
なぜこんなことを書こうと思ったのかというと、こういう膨張主義がエロの世界には非常に蔓延しやすいという感触があるからだ。
ノクタ界隈で言うと特にふたなりが酷い。
とりわけ変身ヒロインモノ。いかに言葉遊びをするかで競い合ってしまっているという感触すらある。

もちろん、そういう作風に憧れる人が現れるのは凄くいい事だし、そこの最前線で突っ走っている人はそれが性癖なんだからもっとそれで突っ走っていって欲しいとは思う。
思うんだけど、「いかに強い言葉を生み出すか」に焦点を当て始めると本質からズレていくし、今そうなっているんじゃないかという風にも思っている。
なんとなく、なんとなく今の変身ヒロインふたなり界隈は往年のシューティングゲームと同じ方向を向いているように感じる。
このままだと「ふたなり=独特の言葉遊び」みたいな印象が着いてしまって、以前よりももっとマニアックな方向に堕ちてしまうんじゃないか……みたいな、そんなぼんやりとした危機感。

いやまあ、これはボク自身にも言えるんだけど。

エロの世界というのは際限が無くて、特に二次では行こうと思えばどこまででも行ける。
三次の普通のカップルですら正常位に飽きてバックや騎乗位、やがてもっとマニアックな体位から玩具や下手するとアナルまで進んでしまうんだから。
刺激を求めるあまり子宮姦から卵巣姦にまで進んでしまっているボク自身の現状を鑑みても凄く危うい。

だけどダメなんだ。

エロに対してこういう〝わかりやすい凄さ〟を求めてしまうと必ず行き詰まる。
ニッチな性癖だから云々というそういう話ではない。
「それほんとにエロいと思いながら表現してんのか?」って部分に自分で首を縦に振れなくなってくる。
前回よりも凄いものを。前回よりもえげつないものを。
それを求めれば求めるだけ自分のエロいと思ってるものから乖離していく。〝どこか〟までは一致してるだろうけど〝どこか〟を越えた瞬間に間違いなくズレる。

だから膨張主義は絶対に限界を迎える。
これはゼロ年代のゲームが、あるいは衰退を極めてしまったシューティングというジャンルが証明している。

求めるべきはいつだって「自分がエロいと思うもの」だ。
誰だってニ、三個は別ベクトルの性癖を持っているんだろうから、そのエッセンス同士をかけ合わせたら簡単に別の切り口で「自分がエロいと思うもの」が創り出せる。

〝凄い〟の本質を見失わないようにこれからも頑張っていこう。

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