これは別に小説に限ることではないけれど、どんなことでも0→1に持っていくのにはものすごいエネルギーが要る。
小説なら初稿を書き上げるのが一番しんどいし、もっと言えば最初のプロットを作り上げるっていうのがそもそもすごくエネルギーが要る。
正直、そこから修正していくっていうのは時間はかかるけど、エネルギーって意味ではそこまで必要でもない。
そう考えると、物書きの意義っていうのはここに集約されんのかな、という気もしてくる。
結局日本に生まれて日本で生活してりゃ日本語は書けるし読めるわけで(それが義務教育ってことでもある)、そうすると「小説なんて誰でも書けるでしょ」という所につながってくるわけで。
実際問題、それができるというだけで十分にスキルが必要な絵とか音楽、プログラムに比べたらそりゃあハードルは低いだろうけど、ただ言葉が使えるのは生まれてからずっとソレに触れてきたからであって、そういう意味でそんなけ勉強してんだからそりゃそのスキルは誰でも持ってるでしょう、ってな話になるだろう。
まあともかく、それじゃあ「小説書いてます」って時に「誰でも書けるでしょ」と言われて「んなことねーよ」と反撃する際、何を根拠にするかと言えばこの〝0→1に持っていく〟というスキルというか忍耐力なんだろう。
もう少し先に話を進ませれば構成力、とか展開力、みたいな所にもつながってくるだろうけど、結局文字というのは誰でも扱える以上、その先のスキルみたいなモノが要求されるってだけだ。
で、この〝0→1に持っていく〟ってのは口で言うのは簡単だけどすんげー難しい。
ぶっちゃけ苦行。こんな話書きたいなぁ~って夢想してるときの方がうん十倍楽しい(ボクだけかもしれんが)。
だからどんな短編であれ完成させる、つまり〝0→1に持っていく〟ってのを成し遂げた人はもうそれだけで褒められるべきことなんだと思う。
それができたら「小説書いてます」ってきっと言えるし、「誰でも書ける」っていわれたら「じゃあおめー書いてみろ」って反撃する
根拠にできる。
ともあれ何が言いたいかっていうと、〝0→1に持っていく〟ってのはすんげー大変な事で、それをやっているだけで十分すごくて、そんな大変なことをやってんだからそりゃ疲れるよねってことだ。
うん。
つまりこんなけつらつら書いて息抜きしてたのは、0→1の作業ってのは疲れるんだっていうのをアウトプットしておきたかったっていう、ただそれだけです。はい。
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