ボクは完璧を嫌悪する

そう思わなきゃやってらんない、って話だ。元ネタはもちろんあの方。

さて、ここ数日の悩みはとにかく「手が描けない」ということ。
相当前にも同じように「手が描けない」ってことでがーっと練習してたことがあるんだけど、今回は更に先に進むために〝あの時よりも上のレベルで〟どうしても必要になったから……ってことで挑戦せざるを得なくなった。

でも、とにかく描けない。
そもそも模写すらできない。頭の中でちぃっとも設計図が描けない。どうすればそれっぽい形になるのか想像すらできない。
描いても描いても描いても描いてもうまくいかない。どこかおかしい、なんてレベルじゃなくてどこもおかしい。
おかしいから修正して、でもやっぱりおかしくて描き直して、けどやっぱりおかしくって……っていう、ひたすらそれの繰り返し。

もうゴールしてもいいよね……? ばりに心は折れてても、それでも歯を食いしばりながらどうにかこうにか前に進もうともがき続けている。
やりたいことがあるから……ってのはこれまでも述べてる通りだから今更強調しない。それ以外にモチベなんてあるはずもないしね。

ただそうは言っても、心はもうべっきべきで、これも何度も言ってるけどもう諦めてしまいたいんよ。
なにせ、やればやるだけゴールが遠のく。気がつけば「前できると思ったところ」ができなくなってたりする。
もうだめじゃん! って気分になってくる。
そうすると、「おかしい」って気づくことがなくなればいいのに、とかそんなことを考えてしまうこともある。

ただ、それは罠だ。
いや、罠と言うか「おかしい」とか「こうしたい」と感じなくなったときに人は成長しなくなる。
しかもこれは、「諦めたらそこで試合終了」よりも相当タチが悪い。
なにせ「諦める」は選択だけど「おかしいと気づけなくなる」は才能の限界だし、「こうしたい」がなくなるのは向上心の消失そのものだ。
ヒルルク曰くの「忘れられた時に人が死ぬ」なら、「おかしい」「こうしたい」が無くなったときに人は停滞する。そこに明確にソイツの限界がある。

これを避けるためにはひたすらに疑い続けるしかない。
ひたすらに「未知」に貪欲であり続けるしかない。
でも、「未知」に触れるのはとにかくしんどい。「できるようになった」スキルはあえて使わず、常に自分に足りないものを探求して挑戦し続けるっていう、ある意味では修羅の道だ。

心なんてベキベキに折れる。
成長は目に見えることもなくひたすらに停滞しているように錯覚する。
けれど「おかしい」も「こうしたい」も無くなった、自分にとって完璧なモノができてしまった時――ボクの限界はそこで定まってしまう。

だから――ボクは、完璧を嫌悪する。

常に不完全であるからこそどこかにある「完璧」をいつでも夢見続ける。
というか、それは免罪符だ。
「おかしい」「こうしたい」から逃げ出したいボクが、それでも前に進んでもがき続けるための羅針盤。

完璧を嫌悪し成長を望み続けるからこそ苦しみもがき続ける。

そういうことなんだって、自分に言い聞かせている。

弱音とか
えろんのかんづめ

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