ついったから離れてしばらく過ぎた感想とか

ついったをいまだについったと呼び続けているのに特に意味はないというか、せめてぺけならともかく、普通にダサいから呼びたくないというかなんだけども。
それはともかく、いい加減もうついったに振り回されるのもうんざりで、距離をとろうとしたのが確か10月の話。
それから一月以上経って今どういう感じなのかとか、今後ついったどうすんのかとか、その辺の話をしたい。

 

ついった、いる?

結論的に言えば、悲しいことに不要とは言えないっぽい。
情報インフラとはよく言ったモノで、結局、なんだかんだ窓口になるのがついったという部分は否めない
宣伝という点では、どれだけキツいシャドウバンがかかっていようとやっぱりどうしたってついったの影響力は大きい。

ただ逆に、それ以外の面ではデメリットしかないなぁ、というのが正直な感想だった。
情報収集に使えるようで実際には非常に使いづらいし、その割に時間は溶けるし。
関わらないのが一番いい、というのはその通りで、その空いた時間で本読んだりアニメ見たり、そして何より「能動的に情報を取ろう」とする

この最後のが意外と大事で、「そういや最近映画って何やってんだろう?」とか「博物館のイベント展って今何やってんだろう?」とか、そういう部分に意識が回る。
そんなもんついったでフォローしとけばいいのでは? というのは、ある意味ではそうなんだけど、むしろ大事なのは「能動的に情報を取ろうとする」という部分だ。

なんて言うか、勝手に目に入る情報の洪水でとりあえず脳みそが満足してしまって、知らずのうちに意思決定権や選択肢を制御されているような、そんな危機感みたいなものが襲いかかってきた。
頭によぎったのは咲のこのシーン↓

「おまえさ…そろそろ麻雀を打てよ」
「? いま打ってるよ」
「おまえのは打ってるんじゃない。打たされてるんだ…」

もう15年くらい前に見た、藤田プロと天江衣のやりとり。
なぜか分からないけど強烈に印象に残ったこのシーンが、結局、今の自分の状況なんだろうと、そんな気がした。

流れてくる情報だけに身を任せて、選択した〝つもり〟になっている。

ついった……というか、YouTube等を含めた諸々、いやもしかしたら〝レコメンド〟なんてことをしてくる全てのシーンで、ボクらはこの状況に陥ってしまっているような気がする。
「人は考える葦である」なんて言ったのは確かパスカルだったと思うけど、情報に対し選択した〝つもり〟になっているという点で、ボクらは人であるアイデンティティすら放棄してしまっているのかもしれない。

なんていう壮大な――というよりバカでかい主語の責任は持てないけど、少なくともボク自身はそんな状況に陥っている気がする。
なのである程度距離を取っておきつつ、宣伝活動と好きな投稿(イラスト)へのリアクションくらいはしていくべきだろうな、というのが今の結論だ。

ついったへのイラスト投稿はもうやめようって

で、じゃあ宣伝と好きな投稿へのリアクションはするとして、それ以外は? というと。
何か劇的に状況が変わるとか心境変化がない限り、イラストをついったに載せるのはもうやめようと思っている。
というか、実際に今年の2月くらいからのは一通り削除した。

これはタイミング的には規約が変わってAIがどうのこうのという時期だったのでいかにもそれが理由っぽいけど、実際の所はそれこそ今年の頭くらいからずっと、ついったにイラストを載せるのが苦痛で苦痛で仕方がなかったからだ。

単純に、ボクは今のついったのプラットフォームとしてのあり方に嫌悪感を抱いているし、極力関わりたくないと思っている。
だから離れてみたけど、それはそれで支障が出るというのも分かったので、最低限で利用してやる、くらいの、言わば「大嫌いで関わりたくないけどビジネス上必要だから会話する上司」みたいな状態だ。

そんなところに、自分が作ったモノを置いておきたくない。

ただそれだけで、けれどだからずっと、ついったへの投稿がイヤでイヤでたまらなかった。
それがいい加減限界を迎えて、とりあえず2月以降くらいのは一括削除したという経緯になっている。
(大体そもそも、本当にAIがどうのこうの言うならPixivでも削除してる)

まあともかくそんなわけで、ボクはもうついったにイラストを投稿する気はない。
そんなん宣伝にならんやんけ! と言うのは尤もで、だからずっと「宣伝のために仕方がない……」とイラスト投稿してきたけど、もう無理だ。心が持たない
インプレッションが激減しようがなんだろうが、Pixivへのリンクという形にしようと思う。
……そもそも碌にインプレッションなんかないけどね。

ピロートーク

能動的な情報収集というのは結構大事な気づきというか、自分が久しく忘れてしまっていた感覚を思い出させてくれた。
ついったのなかった生活というか、プラットフォーム側で情報をコントロールされていない感覚というか。

ただそれに関して言うと、最近のグーグル検索はポンコツで、必要な情報を全然出してくれない。
というか明らかにフィルターされているし、検索の精度自体もがた落ちしている。
「おまえらが判断なんてする必要はない。これ(フィルターされた情報)でも食っとけ」という傲慢さすらひしひしと感じる始末で、検索結果に対し「いい加減にしろこら!」と悪態をついたことも一度や二度ではない。

きっとついったに限らず、いろいろなモノを改めて見返すべきなんだろう。

エッセイ的ひとり言
えろんのかんづめ

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